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中国が漢字語を輸入

2007-05-07 23:22:07 | 言葉と文字

 日本語は同音異義語が多く、漢字に書いてみないと聞いただけでは意味が分からないとかいわれます。
 たしかに、「こうせい」というようなコトバは「構成」「公正」「校正」「攻勢」「厚生」「後世」「更生」、、、などたくさんの同音異義語があって、アクセントが違うものがあるにせよ、聞いただけでは分かりにくいものがあります。
 ところで同音異義語は漢字語に限ったことではなく、本来の日本語つまり和語にも多く見られます。
 「あげる」とか「さげる」「みる」などといった基本語は、同音異義語がそれぞれたくさんあります。
 たとえば「とる」というコトバは図にいくつかの例を挙げてありますが、多くの意味があります。
 これらは日常会話に出てきても、別に漢字を思い出さなくても、ストレートに意味が分かります(日本人なら)。
 これに漢字を当てたり、あるいは漢字熟語と交換したりすることもできます。
 わざわざ「栄養を摂る」「摂取する」、「写真を撮る」「撮影する」、「人のものを盗る」などとすることができますが、わざわざ漢字を当てるほうが厄介です。
 「あげる」というコトバでも「手をあげる」「天ぷらをあげる」「例をあげる」「小遣いをあげる」「花火をあげる」「畳をあげる」「芸者をあげる」「酔ってあげる」などいろんな意味がありますが、別に漢字に直さなくても意味が分かります。

 明治以後は西欧の技術、知識導入のために西欧の(主として英語)コトバを、漢字熟語の形で翻訳して、いわば新造語をたくさん作っています。
 同時に何でも漢語化するために、コトバが抽象化してしまうケースもあります。
 たとえば、「苦渋」のように中国語では普通に「苦くて渋い(果物など)」という意味なのに、「苦渋の決断」という風に抽象化した意味にしてしまった例があります。
 「圧倒」にしてもおしたおすという意味のものを、圧倒的優位などといった言葉の使い方にしています。

 一番下の例は日本で作られた翻訳語で中国に逆輸出されたものです。
 翻訳語にしても本来は中国のほうが本家で、取り掛かりも早かったのに、日本製の訳語がおおく中国に導入されたのです。
 日本人のほうが漢字を記号的に扱うため、抽象的あるいは比喩的表現が得意なためかもしれません。