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漢字の拾い読み

2007-05-22 23:11:07 | 言葉と文字

 漢字かな混じり文は、漢字を拾い読みすればヒラガナの部分を読まなくても意味が分かるので自然に速読ができるという説があります。
 上の図は、和辻哲郎「風土」の中の一説です。
 ひらがなの部分をすべて伏字にしてしまうと、なんについて述べられているかは冒頭の家族制度という単語で分かりますが、論旨は分かりません。
 現代の日本人が家から離れているというのか、離れていないというのか、伏字をされた状態ではどちらともいえません。
 
 ひらがなの部分は文章の骨組みを作っているので、これを無視してしまうと論理がなくなってしまいます。
 「明日は天気になるだろう」という文と「明日は天気にはならない」は漢字の部分だけ拾い読みすれば同じでも、意味はまったく違います。
 文字どおり漢字だけを拾い読みした場合は、なんについて書かれた文章か分かっても、どのような主張がなされているか分かりません。
 文章の論理の組み立てが分からないので、結局意味がわからないということになり、無駄な読みをしたことになります。
 
 漢字かな混じり文を読んでいるとき、ひとつひとつの文字をなぞるように読んでいるわけではなく、視線は飛び飛びに動いているので、実感的には拾い読みをしていると思い込みがちです。
 漢字かな混じり文の場合は、漢字の方が目立ちますから、視線が跳ぶように動く感じから漢字を拾い読みするように考えてしまうのでしょう。

 実際に文字を読んでいるときの視線の動きは、英語熟達者が英語を読む場合でも、一文字づつあるいは一単語づつなぞり読みをするのではなく、視線を跳ばして拾い読みのように読むそうです。
 なぞり読みをしないで跳ばし読みをするというとき、間の文字は目に入らないかというと、中心視野には入らなくても、周辺視野には入っています。
 周辺視野ははっきり見えないのですが、かな文字の場合は漢字に比べはっきり見えなくても把握しやすく、また良く使われる単語なので周辺視野にあって自動的に理解しやすいのです。
 つまり、漢字だけ拾い読みしているようなつもりでも、実際はかな部分が周辺視野でとらえられ、意味の理解を助けているのです。

 二番目の文は上の文と同じ文なのですが、漢語の部分だけを伏字にしたものです。
 この場合は文章の骨組みはわかるのですが、これだけ見てはなんについての文章なのかさっぱり分かりません。
 漢語の部分は、内容を限定する「何」や「どのように」、「どうする」のほとんどを占めていて、和語(日本語)は「徳川、何人、仕方、離れ」と三分の一程度です。
 漢語のほうが数が多いから伏字にすると内容が分からなくなると考えがちですが、漢語のほうが使用頻度が低いので、伏字にされたとき予想がつきにくいからです。
 漢字かな混じり文を読むとき漢語に視線が向かうのは、漢語の方が形が複雑なだけでなく内容もなじみが少なく予想しにくいためなのです。