「エポックなかはら」前に立つ案内板の一部を拡大表示。朱点が今回歩いたコース。東海道、中原街道、大山街道(矢倉沢往還)を表した図が添えてあります。タイルの表示は、上が北東方向で丸子橋、右が東南方向で武蔵小杉、下が南西方向で千年、左が西北方向で溝の口。現在は車の往来が多いが目を瞑り想うと、当時は牛車や馬、人の往来で賑わったのでは・・・。この辺りは桃の産地であったということを表すタイル。井田掘りは二つの流れになっていて、堀には石橋が架かりきれいな水が流れていたとか。ここに地蔵尊が祀られているのには、堀に落ち亡くなった子供の霊を祀るためだという。木月堀と井田掘りに挟まれこの辺りで二軒の醤油屋さんにより醸造が行われたという。
"朝陽"醤油・・・朝田家、"東陽"醤油・・・小川家 現在はない田んぼが広がり長閑な風景の場所だったのだろう、そこを牛車がのんびりと往来していた図こやしを運んできたのか、堀の橋を荷車が渡る。屋敷林が茂って暗くしていたので「くらやみ」その一角に実る「柘榴」の実。屋根の鬼瓦が素晴らしいという長福寺。
まずは武蔵中原駅から二つに井田堀と木月堀を経て「くらやみま」で。この続きは「そのⅡ」へ。 |
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