海杉ブログ 木材を中心に書き残したいことを投稿します

日々、気づいた事、エクステリアウッドのテクニックを書き綴ります。やりたい時、書きたい時だけ、疲れるので笑笑

大韓航空機撃墜事件

2010年08月30日 05時50分43秒 | なんでも
もうすぐ、9月1日「大韓航空機撃墜事件」の日だ。

今年で、27年になる。

この事件は、海杉の人生を大きく変えた事件になる。

大学時代は、日本大学新聞社に在籍していた。大学の学生新聞だ。多くの仲間は、マスコミ志望であり、実際、マスコミ界で活躍している。

公称8万部の月刊紙だから、本格的なマスコミといってもおかしくない。

それをすべて学生でおこなう。

9月1日、海杉は、新聞社に残っていた。ほとんどの学生は帰省していたのだが、なぜか、ぶらぶらしていた。

そこに大韓航空機墜落の報、日本大学の関係者が何人か名簿にあった。

これはすごい事件だ。先輩と八重洲の富士ホテルに行った。

マスコミは、完全シャットアウト。

しかし、私たちは、「大学関係者だ」と名乗って、搭乗していた日本大学の学生の父親に遭うことができた。

先輩は、父親にインタビュー、海杉は、写真担当だ。

父親は、「たぶんダメだろう」とため息をついて話始めた。

こどものこと、撃墜された日が誕生日だったことなどだ。

二十歳になったのに・・・と絶句した時に父親は、泣き始めた。

海杉も二十歳だった。実は、写真を撮っている時も海杉は、泣いていた。シャッターが切れない。

自分と自分父親が、被害者と家族と重なってしまった。

そのときの写真は、椅子に座ってうなだれる父親の姿だった。

涙を流しながら写真を撮ることが精一杯だった。

新聞が発行され、次号の編集会議の時に先輩たちは、どこのマスコミも遺族と取材できない時期にインタービューできたことに評価をされたが、写真が、父親のかがみこんだ頭しか写したものしかなく、アングルが悪い。下からあおる写真が欲しかったと言われた。

できない。

マスコミに対する淡い憧れは、この事件で完全になくなった。



コメント (2)
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