海杉ブログ 木材を中心に書き残したいことを投稿します

日々、気づいた事、エクステリアウッドのテクニックを書き綴ります。やりたい時、書きたい時だけ、疲れるので笑笑

日向の人が・・・

2010年08月14日 19時13分22秒 | 地元のこと
<シベリア抑留>兵士の遺品 モスクワ近郊の博物館で発見
8月14日15時1分配信 毎日新聞


「ドイツ反ファシスト記念博物館」の資料室で見つかった谷秀男さんの郵便貯金通帳=モスクワ州クラスノゴルスク市で、2010年8月4日、大前仁撮影(一部画像処理をしています)
 第二次世界大戦後にシベリアで抑留され死亡した元陸軍上等兵、谷秀男さん(高知県出身)の遺品とみられる郵便貯金通帳が、モスクワ近郊の博物館で見つかった。シベリア抑留をめぐっては、死亡者の遺骨とは別に、今回のような遺品もロシア国内に多数散在しているとみられ、遺品の発見と遺族への返還が課題となる。【隅俊之、倉沢仁志、モスクワ大前仁】

 通帳は、モスクワ州クラスノゴルスク市にある「ドイツ反ファシスト記念博物館」の資料室に保存されていた。表紙の氏名、住所欄に「谷秀男」「幡多郡富山村大字大屋敷(現在の高知県四万十市)」と記されている。太平洋戦争が始まる前の41年3月から翌年7月まで、15回にわけて計6円60銭を預けた記録も残されている。

 遺族らによると、秀男さんは19年生まれで、9人きょうだいの長男。42年ごろに召集され、旧満州(現中国東北部)の奉天などで関東軍の兵士として従軍した。

 終戦から数年後、戦友から「シベリアで抑留され病死した」と家族に伝えられ、亡くなったと判明。ロシア側から提供された名簿をもとに日本政府の遺骨収集団が92年8月、東シベリアのチタ州カダラ地区の墓地で遺骨を見つけ、遺族に返還された。ロシア側資料では、46年2月9日に死亡したとされている。

 毎日新聞の取材では、通帳は終戦後、クラスノゴルスクの収容所で日本人捕虜の通訳をしていたユーリー・コズロフスキーさん(83)が入手し、地元歴史家を経由して10年ほど前に博物館に提供されたという。通帳入手の経緯について「昔のことなので覚えていないが、多は、遺品の通帳について「家族のことを思いコツコツと貯金してくれていたのだろう。優しかった兄を思い出させる証拠として手元に残しておきたい」と話している。一方、同博物館は「(収蔵されている遺品は)歴史資料であり、文化省の管轄にある。返還を希望するのならば、複雑な手続きを経なければならない」と説明している。

 ◇全体像の解明が急務

 シベリア抑留をめぐっては、1991年に「日ソ捕虜収容所収容者協定」が結ばれて以降、ロシア側からの死亡者名簿をもとに遺骨収集が行われ、最近ではDNA鑑定の導入で遺骨の返還も進みつつある。だが、亡くなったとみられる約6万人のうち収集された遺骨は約1万8600柱あるが、厚生労働省によると、身元が判明した遺骨は1153件しかない。多くの抑留死亡者がいまだに氏名や埋葬場所も分からないまま放置されているのが現実だ。遺品に関しても、91年の協定で返還が約束されたが、眼鏡などが遺骨とともに埋葬場所から見つかるケースはあるものの、どこに何があるのか把握できていない。

 今年6月に成立した「シベリア抑留者特措法」は、これらの問題点を念頭に、遺骨とともに遺品の収集と返還に必要な措置を定めた基本方針を策定するよう国に求めた。全国抑留者補償協議会の有光健事務局長は「政府は死亡者情報はロシア政府に求めてきたが、遺品などの収集には力を入れてこなかった。多くの遺品は抑留の記憶を掘り起こすものとして貴重で、特措法を契機に抑留の実態を明らかにしていく必要がある」と指摘する。

 戦後65年。遺族の手元に亡き家族の面影を語る遺品を届けることは急務だ。政府は遺骨の返還とともに、ロシアに残された遺品の全体像を明らかにするようロシア政府側にも求め、その収集・返還に全力を挙げる必要がある。【隅俊之】

 ◇ことば・シベリア抑留

 日本軍が45年8月に無条件降伏した際、旧満州などに駐留していた将兵や軍属、民間人が、シベリアや中央アジアなどへ連行され、強制労働を課せられた。少なくとも60万人が抑留され、6万人が亡くなったとみられている。抑留者の引き揚げは46年に始まり56年まで続いた。日ソ両国は56年の日ソ共同宣言で、相互の賠償請求権を放棄。抑留経験者は日本政府に対し、抑留中の労働行為の補償を求め続け、今年6月に成立した「シベリア抑留者特措法」で生存する抑留経験者に1人当たり25万~150万円の支給が決まった。

うがい

2010年08月14日 08時21分39秒 | なんでも
うがいは「え」音で

大学の頃、カレンダーに貼ってあった生活の豆知識で知った。

うがいをガラガラッペで済ませる人が多いが、「え」音にすると喉の中に水が入るのが分かる。

はじめは、難しいが、だんだん慣れてくると「え」音でないとうがいではないような気がしてきた。

うがい水を口に含んであいうえおの「え」だけを発声する。「え~」とうがい水がのどにはいり口の中ではなくのどにはいる。

きつくて吐き出すが、慣れれば、快感である。

喉をやられたと思ったら、塩水で「え」音うがいだ。