日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

好きじゃなくなった人

2012年11月09日 | Weblog
好きだったのに嫌いになった人がいます。
正確には元々好きではなかったのかもしれませんが、あれよあれよと云う間に嫌いになって行きました。

何時も見下されているので上からモノを云われるのにとても敏感ですが、その人もどんどん上からモノを云うようになって行きました。
多分自分では気付いていない、自分が変わった事で起きたよい変化とでも思っているかもしれません。
が、こう云う事の本質は案外分かり易く伝わるもので。
どんどん鼻持ちならない感が増して行き、シェアの振りした自慢話ばかりになって来ました。

やっぱり人から凄いと云われたいのだろうし、またその人自身も凄いと云われている人と近付きそう云う人の中に入りたいと思っているのだと思います。
その辺は余りに普通の人と云うか、過ぎるほどに俗っぽいと思いますが、本人は夢夢そんな風には思っていないと思います。
普段上から云っている事と俗っぽさとのギャップも、いいようにごちゃまぜにしてしまえる才覚があるから。
と云うより、そう云う俗っぽさもある種の売りなのかもしれません。

羨ましさと云う事において、憧れとか羨望を含んだ羨ましさか、或いは嫉妬がベースなのかでは、発せられるものが大いに違って来ると思いますが、その人には大量の守護があるようなので、どんな状況になっても悪くなる事はないのだろうと思います。

自分に出来る事は誰にでも出来るなんて、一寸自分を下げたようでいて全くそんな事はないと云うのに気付いていません。
それが出来ない人への罪悪感の元凶になっていると云うのに。
もしかしたら分かっていてやっている確信犯かもしれませんが、どっちにしろ、自分はあなた方下々のものとは違うと云う事は暗に云っている訳で。
こう云う人が人助けを仕事にしているのですが、そう云う皮をかぶって自己主張をしているだけと云う事、分かっているのかな。
どれだけ凄い能力や力があったって、受入れられない・受付ない人がいると云うのは、そう云う事ではないのでしょうか。
あらゆるものに通じている風だけど、だったら受付ない人なんているはずないだもの。
波長があったものだけが同調するのなら、現状は理解出来ると云うものですが。

でも現実は、こう云う人がよい目を見ます。
平等だの何のと都合のいい事を云いますが、実際そうではないって、この人が証明しているんじゃないのと思うんですけれど。
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