日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

余地なんてもの

2012年11月19日 | Weblog
セラピストでもヒーラーでも、自分の運気を下げるような人とは関わりたくないのでしょうね。
如何に凄いお力を持っている人であっても。
で、大事な事は全てお金払わないと教えてあげないって事なんですよね。
そりゃそーだ、セラピストもヒーラーも、ご飯食べて家賃払わなくちゃだもんね。
みんな一緒に幸せになるなら、別に出し惜しみしなくたっていいんじゃね?と思うのですが、やっぱり人は選別、淘汰されていると云う事になると思います。
だから、ふるいにかかって落っことされたら、もうどうにもならないと云う事です。

下手な事云えないんですよ。
云っちゃって頼られちゃったら最悪だし、そんなの面倒み切れないし、ウキウキワクワク人生に最も邪魔な存在だし。
セッション受けてもちっともよくなれなかった人がいるんだけど、いい事だけしか宣伝に使えないからそんな人の事はどーでもいいし。
って事だよね。

後ろを向くな、前を向かないとますますダメになる。
ホントにそうかな。
必死に何度も前を向いて来た結果が今だったら、努力の先に期待なんて出来ない事もよくよく分かっています。
今からどうやって前を向けと云うんだろ。
同じ事をしていたって、よくなる人とそうでない人は確実にいる。

自分の人生、いいも悪いもなくただ生きなくてはならないと云う時、何にも気力を見いだせない時、どうやって日々をやり過ごせばいいのか。
したい事もないけれど、したくないと思う事の方にしか生きる術を見いだせないなら、それでもその中で生きるしかないと云う事。
したいもしたくないも関係がない、要するに選択の余地なんてものは存在しないと云う事、振り落とされたものに。
死にぞこないは、その前よりも更なる地獄を味わう、そう云う事です。