日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

思えないから

2011年10月22日 | Weblog
なりたい自分になったように振舞うと、そうなる率が高まる近道になると云われます。
思うだけでは当然そうなれる訳ではなく、実感を伴わないといけません。
まるでそうなっているかのごとく、その時に感じるであろうワクワクウキウキと楽しい気分を感じなくてはいけないのです。
が、経験した事のない状況を実感を伴って感じると云うのは、そう簡単には出来る事とは思いません。
だから、自分の経験した楽しい事などでその気分を代用して行く…と云う事ですが。


私の周囲はお金に何困るなんて事はなく、好きな時好きな場所へ出かけられる、必要なもの・欲しいものは何でも直ぐ手に入ると云う環境の人が殆どです。
なぜ私のような超貧乏のしょーもない人間の周囲がこう云う人なのか謎で、正直付合うのが本当に辛い時がありますが、一応私にも意地と云うか小さなプライドがありますもので、関わらなくてはならない事には、何とか食いついていると云う状態です。

昔あるセラピストにこの事を話したら、何て素晴らしい環境なんでしょう、あなたはこうなりたいと思うところにいられるのですと大絶賛され、ドン引きした事があります。
もし直ぐそう思えたら、私は今こんなじゃないですよ、あなたに相談もしませんわい。
こう云う環境にいるのは自分が辛くて苦しいだけで、そうなれるなんて思える要素は一つもないんです、と云ったら、散々説教を食らいました。
が、その説教で心が入れ替わったかと云えば、決してそう云う事はなく。
相容れない人とは相容れないと云う結論が出て終わりました。
そう思えないから困ってるって話なのに、出来ない事をしないと責められたってなあ……。

今の自分じゃ到底行けないような場所へ行き、何時かここへ来られる自分になるとワクワクウキウキ出来る人と云うのは、恐らくもうそう云う風になる準備が出来ている、なれる予備軍と云える人なのではと思います。
私なんぞどれだけ頑張って思考を変えようとしたところで、こうなるなんてとても無理と再認識し、場違いで惨めな気分になるだけですから。
結局大抵の人が引っ掛かり、上手く進めなくなるのはこの辺が原因ではと思います。
そう云う心癖を変えなくてはダメ、それはよく分かりますが、簡単に出来ないから殆どの人が苦しんでいる訳で……。

心癖を変える事は簡単ではありません。
変える為に必死な自分が惨めになって来たりもする。
でも変えなくてはこの場から動く事は出来ません。
覚醒した人には思い出す事も出来ない状況でしょうが、凡人には葛藤です。