日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

息切れ

2010年09月17日 | Weblog
白か黒か、キッパリ決められない事だけど、そのどちらかを選択しなくてはならないと云う場合、きついですね。
立場を変えればどっちもあり、そう云う事ですから、自分が何時反対の立場になるか分からない、そう云う思いを
抱えつつ、でも選ばなくてはならない。
自分なら出来るのかなと思いました。

何か不都合が起きた場合、誰かのせいに出来る時はまだ救われる気がします。
誰のせいにも出来ない時ですよね、辛いのは。
本当はどんな出来事も、他人ではなく自分のせいだとは分かっているのですが、普通に人間やってると、そうとは
素直に思えない、理不尽で不合理な事も沢山ありますから。
それとどう折り合いをつけて行くのか、それで先の方向が変わって来るのだと思います、が、辛いもんは辛い。

辛いもんは辛いし、腹が立つ事は腹が立つ。
それを無理に抑え込んだりする必要は全くないと、最近思えるようになりました。
波風立てないようにとか、自分が引いたり我慢する事でその場が丸く収まる場合もあるし、そうせざるを得ない事も
ありますが、それが続くと人間おかしくなっちゃうのでは?
それに、やっぱり変な事は変です、価値観の差とかそう云うものを超えて。

昔、怒っていいのか分からない事が多々ありました。
私は腹が立つけど、他の人はどうなんだろうとまず思う。
云いかえれば、それほど劇的に腹が立つ事ではなかったとも云えますが、自分の感情を出す事に対し周囲がどう
反応するかが恐ろしくてたまらなかったんです。
それは辛いとか苦しいとか云う事も一緒です。
私が辛い事でも周囲の人は全くそうではない事もある、何でこんな事が辛いの?と云われるのが恐ろしく……。
何でこんな事に腹立ててるの?何でこんな事が辛いの?
これを云われるのが本当に恐ろしかった。
とにかく自分や自分の感情を否定されるような感覚がたまらない恐怖なんですね。
これはどれだけずーずーしいオバサンになった今でも変わりません。

自分は存在していいのか?と云うような感じが、ず~~っと子供の頃からあるもので、それを見透かされて、子供時代
から、何もしていないのに苛められたりしたのかなと思います。
初対面の子にメンチきられましたから(笑)。
で、ず~~っと通園バスで苛められ続けた。
幼稚園に行けば行ったで先生につねられたり、ホントに今思えば地獄のような日々をよく耐えたもんです。
お陰で神経症みたいになっちゃって言動がおかしくなりましたけど、親がそれに気付かなければ終わりだったろうなと
思います。
完全に壊れたと思う。
子供の時から肝心な事は誰にも云えない性格は変わらないものです(笑)。

なんつ~か、そろそろ楽になりたいのですが、どうしたもんでしょうねえ。
自分ではやっと超えられたと思った山も、実は全く超えていなかったみたいな状態で、いい加減どうでもよくなって
来ました。
自分でやれたと思っても、見えないもののジャッジが×ならやれていないと判断されて、しんどい事が延々続く。
これ、何度も続いたら、自分で自分を否定したくもなるってもんですぜ。
やってられませんわ、全く。