日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

そうしない理由

2011年02月12日 | Weblog
感謝はするけど反省はしない、反省しても謝罪はしない。
上記は私の思うスピ業界の困ったチャン(特にセラピストとそれに類似する人)の特徴ではと思われる点ですが、こう云う困ったチャンはなぜ出来上がるのか、その理由は何か……。
ちょっと考えました、ワタクシ。

まずは、人と云うのはありのままの自分でいいから、悪い事(と本人は思っていないかもしれませんが)をしてもそう云う自分を認める事でその事は完結する、よって反省は必要なし。
後ろは振り返らず常に前向きに、と云う事か。
少しはマシに反省はする場合でも、謝罪すれば、自分のした事(または人間性)は失敗や悪い事で、本来あってはならない状態にしたと認めた事になってしまう。
それはまずい、だから自分の心の中で反省はしても、断じて謝ってはならない、と云う事か。

プライド、なんでしょうか。
する側とされる側と云う図式の中で、する側が常に何においても上である、であるべきと云う考え方。
でも感謝だけして反省しないと云う事は、同じ場所に留まらざるを得ない状況を自ら作っていると云う事にはならないのだろうか。
反省しなくてもありのままの自分を認めればチャラになり、そこでワンステップ上昇出来るのか。
実際ステージは上昇しているのでしょうか?
謎です。

言葉遣いは綺麗ですが、クライアントの事を否定するような云い方をするセラピストは沢山います。
そう云う考え方だからいけない、そう云う事をしたのがいけない、やんわり、にこにこしながら厳しい事を云うのですが、それはそう云うやり方なのでしょうから、酷い事ではないのだと思います、多分。
が、散々云うだけ云われて私って最低なんだと云う気分になっている時、でもあなたはあなたのままで大丈夫、ありのままの自分を愛してあげて、なんて云われたって、はいそうします、なんて素直には思える人なんているんでしょうか。
下げて上げてと云うテクニックなのかなあ。
でも同じやり方が全員に通用するとは思わないんですよね。
実際、クライアントを否定する事を、きちんとしたスキルと自覚して使っている人ってどの程度いるのだろうと云うのが率直な疑問です。
セラピストやカウンセラーから云われた言葉と云うのは別格、その辺の人から云われる言葉と同じものではございませんからね、当然その事を分かった上でやっているのでなければ、たまったものではありませんが。

スピだけでなく最終的に何事においても、行きつくところは人間性の問題と云う気はします。
能力があっても使い方と云うものがあって、向き不向きは確実にある事なので、やっちゃいけない人は山ほどいると思う。
でも好きな事は、自分がすべき事と云うのがスピの云いよう。
向かないのに好きだけで始めてしまった場合(こう云う場合、ご本人は絶対気付かないでしょう)、スピ的に自分は良い方へ向くのかもしれませんが、関わって傷ついてしまった相手と云うのはどうなるのか。
これは生まれる前に決めて来た事だから仕方がないで片付けられるのでしょうか?
何においても、この人やってていいの?と云う人はいるものですが、それにしたってねえと思う人、スピ業界には多過ぎるように思えてならないのですが……。
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