日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

無理な事

2014年06月21日 | Weblog
私は、ある体質ではないかと云われた事があります。
体質、と云うか性質?
前出のエントリーに被りますが、人から影響を受け易い(決して霊障とかではなく)と云う事も含まれますが、病気ではないと定義されています(一応)。
この性質を指摘してくれた人が、だからこそセラピストとかそう云う仕事に向いている、適職だと思うんだと云われました。

しかし、人に共感は出来たとして、その先があるかと云えばどうなのか。
セラピストのような仕事と云うのは、現状を受け止めるのは勿論、その先を創っていくサポートの占める割合が相当大きいと思います。
それが出来なければ、ただ話を聞くだけの人でしかない。
話しを聞くだけでお金を取る人もいますが、確かにその人の時間を買うと考えると商売として成立しなくはないと思いますが、ただ誰かに話したいと云うだけならペットでも植物でもよかったりもする訳で。
ホントに聞くだけで何の反応もない人にでもいいから話したいと納得しているならともかく、そうではないなら、その人に話すと云う事に価値がある、だからこそ成立すると思うんですよね。

話しを聞いて貰っただけスッキリと云う事はあるし、むしろ心の中でやるべき事は分かっている、それを確認したいと云うだけと云う人が多いのかもしません。
しかし、話した事によって先が見えない事にはどうにもならん。

ガサツと云うか、苦労した経験を活かしてこの仕事をしているなんて人が、はぁ?な対応を平気でするセラピストだったりする事もあり、どう云う人がと云う事を考えると、これと云えるものがなく、自称でOKなのだとは思います。
が、やっぱりそうそう出来る事とは思えません。

単に生き辛い性質であると云うだけ活かせるものが何もないので、本当にしんどいのみ。
困ったものです。