『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

暫くお別れ

2017年11月17日 | Weblog

僕のチームで、チームの要でありエースのK玉。
会社の人事で、今月末から上海へ駐在することになった。

K玉が入社してきたのが22年前。僕が40歳になった年だった。
その頃僕は、前のシニアチームでプレーしていたが、
そのチームの運営方法が滅茶苦茶で、メンバーが足りない時に
若手チームに助っ人を頼んでおきながら、審判をやらせて
自分たちはさっさと帰ってしまうような、失礼な対応をしていた。

僕がチームのリーダーに苦言を呈したら、それ以降僕には
試合の連絡が来なくなった。
その事を見ていた当時の若手チームのキャプテンが、
『そんな事なら、若手チームに復帰して一緒にやりませんか?』
と言ってくれて、その時から今のシニアチームの母体となった
東京都社会人リーグで、再びプレーするようになった。
この事が無ければ、僕はその時点でサッカーを辞めていた。

そこに居たのがK玉。
宮崎でサッカーをやり、選抜チームに選ばれた経験があるだけあって
スピード、テクニックは僕にすれば異次元の男だった。
そのK玉が、3トップの実質トップ下のポジションをやり、
味方のスピードに合わせた丁寧なパスを連発してくれた。
僕はそのお蔭で、得点を重ねることが出来、その年は4部で優勝。
翌年も3部に上がって、4試合連続で勝利してさらに上を目指していた。
その当時の写真は、今でも僕の部屋に大事に飾ってある。

ところがそのK玉、半導体機器の部署にいるため台湾駐在で、数年のブランクが出来た。
帰国してからは、家庭の事情で若手チームに合流することなく、サッカーをやる場を失っていた。

そこで僕は、K玉だけじゃなく、僕にずっとサッカーを続けられる場を作ってくれた
サッカーが好きで仕方がない旧都リーグの仲間を集めて今のシニアチームを作った。
これは仲間に対する僕の『恩返し』のつもりでもあったのです。

実は水曜日の夜に、K玉の相棒である郁也が地元で運営しているチームと
我々のチームとの間で壮行試合を計画していた。
水曜日の夜だと言うのに、両チームで25人ものメンバーが集まった。
ところが、肝心のK玉が突然来れなくなって、主役不在のまま
結果的に郁也のチームとの練習試合になった。

最後にもう一回・・・・と思っていた僕は、ちょっと心残りだったので、
今日は最後の最後、昼のミニゲームに参加してK玉と一緒に
ボールを蹴ってから仕事へ出かけた。

40歳になって、正式にシニアの大会に出場できるようになると
本人だけじゃなく、チームのみんなが楽しみにしていたのに・・・・
これから…と云うタイミングになると、必ず会社の人事に翻弄される。

上海駐在は短くても3年は居るだろうな。
最後に『元気でな』と言って握手したら
『帰って来るまで続けていてください』
と返事が返ってきて別れた。
あぁ、また暫くお別れです。
これで奴が帰って来るまでサッカーを続けなくてはなりました(笑)
チームメイトは嫌がるでしょうねぇ・・・
それまで生きて居るかどうか?・・・・の方が、心配ですが・・・・

コメント
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