(パレ・ブロンニャール)
パレ・ブロンニャール
慶應三年(1867)、パリ万博に参加するために徳川昭武とともにパリを訪れた渋沢栄一は、銀行家エラールに証券取引所に案内される。当時の証券取引所は現在パレ・ブロンニャール(Palais Brongniart)というカンファレンス施設となっている。この場所で渋沢栄一は、株式とか債権が売買される様子を見て、資本主義の原理を理解したのである。後に我が国資本主義の父と称される実業家渋沢栄一が誕生した場所と言っても良いだろう。
(国立図書館)
竹内保徳を正使とした遣欧使節団は往路帰路にパリに滞在し、精力的に市内の名所を訪ねている。彼らが訪ねたのは、マドレーヌ寺院、植物園、フランス学士院、国立図書館などである。図書館は今も当時の姿のまま、しかも図書館として今も利用されている。久米邦武は図書館のことを「大書庫」と記している。日本書の棚には慶長年間に翻訳されたキリシタンの書籍や、曽我物語、太閤記などが並んでおり、それを見た一行はかなり驚嘆した様子である。
国立図書館
(フランス国立銀行)
明治六年(1873)一月二十一日、十時に岩倉使節団はバンク・デ・フランス(フランス国立銀行)に到着している。久米邦武はフランス国立銀の建物を
――― 屋作ノ模様ハ、三層楼ニテ、磚壁(せんぺき)ヲ以テ成レリ、毎層ニ室房ヲ分チ、廊道ヲ以テ榮連シテ、甚ダ迂回ナレトモ、各房ヘ目的ヲ定メテ赴クニハ、高キ三階ノ上ト雖トモ、亦出入ニ易シ、其全局ノ結構ハ、一見ノ能ク了スル所ニ非ズ、両替為替ヲ取扱フ所ハ、三階ノ上ニアリ、此銀行ノ屋作ハ、第一世拿破侖(ナポレオン)苦心ノ図取ナリ
と称賛している。
フランス国立銀行(Banque De France)
その後、八ページに渡って銀行の役割や機能について詳述している。特に国立銀行が紙幣を発行する仕組みについては、余程関心が高かったのかかなり詳しく解説を加えている。なお、我が国で初めて日本銀行券が発行されたのは、彼らの帰国から十二年後の明治十八年(1885)の拾円券まで待たなくてはならない。
BANQUE DE FRANCE
(パレ・ロワイヤル)
パレ・ロワイヤル(Domaine National du Palais-Royal)は、十七世紀に建てられた宮殿および庭園である。「米欧回覧実記」では銅版画の挿絵で「巴黎「ローヤル」宮苑」と紹介されている。
――― 「パレイローヤル」宮ハ、中央ニ方庭ヲ抱キタル、大宮苑ナリシヲ、路易(ルイ)第十四世ノ宰相、有名ナル経済家ナル「リセリュー」ノ工夫ニテ、下層ヲ市廛(てん)トナシ、百貨ヲ鬻(ひさ)カシメタリ、此処ニハ珍玩、奇器、奢蘼ノ品、風流ノ具、金光玉華ヲ聚(あつ)メテ、攤陳シ売リ、酒店、食店、其中ニ雑(まじ)リ、中央ニハ方庭ニハ、緑樹陰ヲ展(の)ヘ、夜ハ気燈ヲ照シ、四囲ノ市廛ヨリ、百貨ノ光彩ヲ輝カスハ、黄金ノ気、庭ヲ包ンテ起ルトモ謂フヘシ、
「米欧回覧実記」を読んで感心するのは、当時の知識人の漢語表現の豊かさである。現代人には馴染みのない漢語が続き、漢和辞典がないと読解不能である。それでもこの文章を通読すれば、パレ・ロワイヤルの華やかさが伝わってくる。市廛とは商店のこと。「鬻(ひさ)ぐ」とは「売る、商う」の意。攤陳とは店先に並べて販売する様をいう。
パレ・ロワイヤル
パレ・ロワイヤル
(ルーヴル美術館)
ルーヴル美術館
それまでずっとティーシャツに半ズボンで過ごしていたが、最終日の朝、外の気温は20度を切っており、さすがに上に長袖を羽織った。フランスにきて一週間で少し季節が進んだのかもしれない。
ルーヴル美術館
ルーヴル美術館
ガラスのピラミッドが入口
さて、有名なルーヴル美術館(Musée du Louvre)である。今回の旅では、とにかく使節団が巡ったスポットに足を運ぶことを優先したので、美術館でゆっくり芸術品を鑑賞する時間もなかったが、パリまで行ってルーヴル美術館にも行かなかったのでは後悔すると思い、最終日のわずかな時間、拝観することにした。手元のガイドブックには「予約なしでは入れないことがほとんど」とあったので、事前にルーヴル美術館のウェブサイトでチケットを予約発券することにした。拍子抜けするほどあっさり購入することができた。
「米欧回覧実記」でもルーヴル宮を描写している。
――― 「チュロリー」宮ノ背後ニ連リテ、「ルーヴル」宮アリ、是ハ路易第十四世ノ代ニ築ク所ニテ、拿破侖第一世之ヲ修増シテ、「チュロリー」宮ト接連シタリ、前年ノ戦ニ此宮ハ完全ニ存シ、中ニ拿破侖第一世ノ遺物、名画、古器、雛形、諸械ヲ蓄ヘ、宝庫トナシ縦観セシム、殿宇峻巍(しゅんぎ)ニシテ、雕絵(ちょうかい)満眼、金華爛然(らんぜん)タリ、
久米邦武の記録によれば、ルーヴル宮はルイ十四世が築いたとしているが、1200年頃、フィリップ・オーギュスト王がセーヌ川下流のノルマンディーからイギリスが侵攻してくることに備えて、パリを囲む城壁の前に建造した要塞がその起源というから、その歴史はずっと古い。ルーヴル宮が要塞から美術館へと変貌したのも、シャルル五世(1338~1380)の時代といわれる。
予約時間の三十分前で既に入口に並ぶ人が三~四十人ばかりいて、その行列が予約時間になると十倍以上に伸びていた。取り敢えず予約しておいてよかった。
空港に出発時間の二時間前に入ることを考えると、ルーヴル美術館で許された時間はわずかに一時間半程度であった。恐らくこの時間で私が見ることができたのは、全体の十分の一にも満たなかったのではないか。それほどもの凄い展示の量なのである。とても短時間で見切れるものではない。今回の旅の心残りはいくつかあるが、その最大のものがルーヴル美術館で十分な時間をとれなかったことである。
ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」
ルーヴル美術館でも、最も有名で最も人気のある作品がレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」であろう。この作品のために一つの展示室の半分を割き、人が手を触れられないように規制線が張られている。作品の周りにはたくさんの人が集まっていた。絵画に疎い私は、この作品がどうしてこんなに人気があるのか、よく理解できていない。もっと美しい女性、もっと素敵な表情の絵もあるように思ってしまうのである。
ゴヤ「青い服の子供」
パルミジャニーノ
「アンテア(若い女性の肖像)」
ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」
ダヴィッド「ナポレオン一世の戴冠式」
西欧の作品に注目が集まりがちであるが、ルーヴル美術館にはアフリカや中東の美術品も多く収集されており、その展示も見応えがある。
ルーヴル美術館「アポロンの回廊」
ルーヴル美術館の瞠目すべき点は、展示されている作品のみならず、その会場自体が芸術品であるということである。上はルイ十四世に因んで「アポロンの回廊」と命名された豪華絢爛たるギャラリーである。
モザイク画
リアルで表情豊かな彫像作品にも見るべきものが多い。
「サモトラケのニケ」