どこかに原発事故後のインタビューが乗っていた。
86歳の吉本隆明。
一部をコピペしたが引用先を失念してしまった。
すぐ忘れてしまうのは年齢のせいでなく、最近の情報量に圧倒されているからだ、ということにしておこう。
まあ、引用、転用、盗用何でもありのネット情報時代だ。
ちょっと待て、という人は言って欲しい。
すぐに削除します。
本題。
知らなかったが吉本はかつて文学者らによる反核運動を批判していたらしい。
東京工大出身の知の巨人だ。
気持ちはわからないでもない。
中沢新一によると、原子力は第7次エネルギー革命で、その特徴は原子を分裂させるという
地球に生態系が出来てから一度も試されたことの無い革命的な新技術だそうだ。
原子力派理科系にとっては夢の技術。
遺伝子組み換えもそうだろう。
文系にとって「えっ、そんなことして大丈夫?」という話だ。
しかし科学技術の進歩はフロンティアに踏み込み、そこで発生する多くの困難を克服するところにある、
とも言えるよね。
そうでなければ月まで行けない(本当に行ったのか?)。
吉本には科学技術の進歩に対する信頼があるに違い無い。
人間は新しい分野での新しいリスクを制御できるはずだ、という思いだ。
人生の最終章で原発事故に遭遇した吉本の心中は複雑だろうが。
「動物にない人間だけの特性は前へ前へと発達すること。
技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退歩することはあり得ない。
原発をやめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。
今のところ、事故を防ぐ技術を発達させるしかないと思います」
「知識や科学技術っていうものは元に戻すっていうことはできませんからね。
どんなに退廃的であろうが否定はできないんですよ。
だからそれ以上のものを作るとか、考え出すことしか超える道はないはずです」
「人間が自分の肉体よりもはるかに小さいもの(原子)を動力に使うことを余儀なくされてしまったといいましょうか。
歴史はそう発達してしまった。時代には科学的な能力がある人、支配力がある人たちが考えた結果が多く作用している。
そういう時代になったことについて、私は倫理的な善悪の理屈はつけない。
核燃料が肉体には危険なことを承知で、少量でも大きなエネルギーを得られるようになった。
一方、否定的な人にとっては、人間の生存を第一に考えれば、肉体を通過し健康被害を与える核燃料を使うことが、
すでに人間性を逸脱しているということでしょう」
そうだとしても原発や遺伝子組み換えのようなオドロオドロしい(制御不能?)な技術革新は、
よく考えてゆっくりお願いしたいと思う文系の国鉄フライヤーズだ。
しかし、知識や科学技術は元に戻せない、という言葉は重い。
できてしまったものを無しにはできない。
学生時代に読んだ福田恆存の言葉を思い出した。
「人間は物を作る、作ったら必ず使う」。
これは原発でなく原爆のこと。
福田さんが間違っていることを祈りたい。