2月9日~10日の旅(尾鷲から熊野)
雪の尾鷲~賀田への道 の続きです
『熊野の自然と暮らし』を読んでいたら「トチの森は残った」では、トチの森は国道42号線の矢ノ川トンネルの熊野側の坑口の近くの道から登ると書いてありました。
これだけの情報では心もとないな~と思いネットで調べてみると三重県のホームページにトチの森のことが紹介されているのですが、詳細な場所についての情報はありません。
これは紹介しているけど来てほしくないのだな?と思い、更にネットで調べるとトチの森を訪ねた方のブログがあり、国道からの入口にあるトチの森と道路標識の写真を載せてくれていました。
この写真と国土地理院の地図を見比べると賀田の町から国道42号線まで登り切り左折したところに入口があることを把握したのですが、地図をみると東西に分かれる分岐があります。
どっちだ?と思い地図をみると西側は広葉樹、東側が針葉樹のマークがあります。トチノキは広葉樹だから西側だな!ということは分岐は左だろうと思いましたが、実際は右折で東側でした・・
これには国土地理院の地図が間違っている!と思ったのですが実際は間違っていませんでした。。。
そのことは後程書くこととしてこれからは探訪記です。
前日に調べた情報をもとに賀田の町から国道42号線まで登り左折してトチの森の入口の到着。
前日、ネットで見たとおりの風景が広がっていたので、林道は荒れているし雪が積もっていたので自転車は入口において靴を登山靴にかえ歩き出しまし、しばらくするとトチの森は分岐を右へ案内しています。
先に書いた通り右側の奥は針葉樹林のマークだったので驚きました

歩を進めるとヒノキ人工林の中に大きなトチノキが点在しています。
これを見て成程!と思いました。空中写真で見ると樹冠が針葉樹で覆われているので針葉樹林になったことが納得できました

トチノキの樹冠の背後にみえるスギの樹冠。

大きなトチノキ以外を伐採しスギ・ヒノキを植え、見事な人工林となっていました。
拡大造林の時代に経済価値の高い太いトチノキを伐って売ってしまわず、守ってきた賀田の方々はすごいと思いました。
トチの実を食料として大切してきた歴史をうかがい知れます。
賀田の周辺はリアス式海岸となっていて海に山がせり出し水田は皆無です。
そんなトチでデンプンを得るのに本当に重要だったと思われます。
ただ、私は最初に賀田にトチノキの巨木が多いということが、にわかに信じられなかったのです。
何故ならば、私の認識ではトチノキは冷温帯に自生する落葉広葉樹とイメージがあったからです。
江戸時代の紀州藩がトチノキの伐採を厳しく制限していたことからトチノキが自生したと考えらえるのですが、これはもっと高標高のことで賀田のトチの森は違うのでは?
ということから現地に行ってみたい!という思いが強くなり今回出かけたのです。
トチの森の標高は400mほどですから海岸線より冷涼な気候ですが、周囲は照葉樹が多いです。
ひょっとしたら更に標高の高いところからトチノキを果実を採取し播種して育てたのでは?とも思いました。
実際、足を踏み入れてみて私が思ったのは、種を蒔くなら集落に近いところで行いトチの森を作ると思うのですが、トチの森は賀田の集落から10キロほど離れた山の中です。
恐らく、歩くと3時間はかかるのではないでしょうか?私は自転車で集落から自転車を走らせたのですが10キロほどの山道を自転車にのぼるのは非常にしんどかったことを考えると、3時間かけ山を登り、沢山のトチの実を担いで下りてくるのは本当に大変であったろうと思います。
こんな大変なことを行うだけの価値のある資源でなかったからこんなことはしないし、身近なところにトチの森が作れるのであれば行ったと思います。
そう考えると、トチノキはそもそも自生していて賀田の方々大切に守り続けたということになり、「熊野の自然と暮らし」で書かれていたことを疑ったことが恥ずかしいと思った今回のトチの森の来訪でした。
また、機会があったら訪ねてみたいところが増えました。(管理人)
ここからはトチの森のトチノキの写真を並べます。ちなみに沢山あるトチノキのほんの一部です。






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雪の尾鷲~賀田への道 の続きです
『熊野の自然と暮らし』を読んでいたら「トチの森は残った」では、トチの森は国道42号線の矢ノ川トンネルの熊野側の坑口の近くの道から登ると書いてありました。
これだけの情報では心もとないな~と思いネットで調べてみると三重県のホームページにトチの森のことが紹介されているのですが、詳細な場所についての情報はありません。
これは紹介しているけど来てほしくないのだな?と思い、更にネットで調べるとトチの森を訪ねた方のブログがあり、国道からの入口にあるトチの森と道路標識の写真を載せてくれていました。
この写真と国土地理院の地図を見比べると賀田の町から国道42号線まで登り切り左折したところに入口があることを把握したのですが、地図をみると東西に分かれる分岐があります。
どっちだ?と思い地図をみると西側は広葉樹、東側が針葉樹のマークがあります。トチノキは広葉樹だから西側だな!ということは分岐は左だろうと思いましたが、実際は右折で東側でした・・
これには国土地理院の地図が間違っている!と思ったのですが実際は間違っていませんでした。。。
そのことは後程書くこととしてこれからは探訪記です。
前日に調べた情報をもとに賀田の町から国道42号線まで登り左折してトチの森の入口の到着。
前日、ネットで見たとおりの風景が広がっていたので、林道は荒れているし雪が積もっていたので自転車は入口において靴を登山靴にかえ歩き出しまし、しばらくするとトチの森は分岐を右へ案内しています。
先に書いた通り右側の奥は針葉樹林のマークだったので驚きました

歩を進めるとヒノキ人工林の中に大きなトチノキが点在しています。
これを見て成程!と思いました。空中写真で見ると樹冠が針葉樹で覆われているので針葉樹林になったことが納得できました

トチノキの樹冠の背後にみえるスギの樹冠。

大きなトチノキ以外を伐採しスギ・ヒノキを植え、見事な人工林となっていました。
拡大造林の時代に経済価値の高い太いトチノキを伐って売ってしまわず、守ってきた賀田の方々はすごいと思いました。
トチの実を食料として大切してきた歴史をうかがい知れます。
賀田の周辺はリアス式海岸となっていて海に山がせり出し水田は皆無です。
そんなトチでデンプンを得るのに本当に重要だったと思われます。
ただ、私は最初に賀田にトチノキの巨木が多いということが、にわかに信じられなかったのです。
何故ならば、私の認識ではトチノキは冷温帯に自生する落葉広葉樹とイメージがあったからです。
江戸時代の紀州藩がトチノキの伐採を厳しく制限していたことからトチノキが自生したと考えらえるのですが、これはもっと高標高のことで賀田のトチの森は違うのでは?
ということから現地に行ってみたい!という思いが強くなり今回出かけたのです。
トチの森の標高は400mほどですから海岸線より冷涼な気候ですが、周囲は照葉樹が多いです。
ひょっとしたら更に標高の高いところからトチノキを果実を採取し播種して育てたのでは?とも思いました。
実際、足を踏み入れてみて私が思ったのは、種を蒔くなら集落に近いところで行いトチの森を作ると思うのですが、トチの森は賀田の集落から10キロほど離れた山の中です。
恐らく、歩くと3時間はかかるのではないでしょうか?私は自転車で集落から自転車を走らせたのですが10キロほどの山道を自転車にのぼるのは非常にしんどかったことを考えると、3時間かけ山を登り、沢山のトチの実を担いで下りてくるのは本当に大変であったろうと思います。
こんな大変なことを行うだけの価値のある資源でなかったからこんなことはしないし、身近なところにトチの森が作れるのであれば行ったと思います。
そう考えると、トチノキはそもそも自生していて賀田の方々大切に守り続けたということになり、「熊野の自然と暮らし」で書かれていたことを疑ったことが恥ずかしいと思った今回のトチの森の来訪でした。
また、機会があったら訪ねてみたいところが増えました。(管理人)
ここからはトチの森のトチノキの写真を並べます。ちなみに沢山あるトチノキのほんの一部です。








