先週のサイクリングのルートを考えていた時、阿智村の横川峠近くの集落が気になります。
地図をみていると、かなりの激坂なので躊躇しましたが、好奇心が勝り昼神温泉から素直の国道を走らず横川を目指し走らせました。
長い上り坂を登り横川の看板を見つけ集落に立ち寄ります。
標高900mほどのところにある小さな集落は自転車より歩いたほうが良いと思い、自転車を降り少し歩いてみました。
まずは集落の最も高いところにある神社を目指し鳥居の前までたどり着くと、廃校と思われる建物がありました。
帰宅して調べてみると1977年まで存在した智里西小学校横川分校であることが分かりました。
本校は園原とのことですので子どもたちが通うのが、やはり大変だったので分校を作ったのだろうと思いました。
今の園原インター近くにあった本校も1979年に廃校となっていました。
この頃は団塊ジュニアの時代で子どもが多く、私の住んでいた一宮では新しい学校が作られていた時代で、私が通っていた小学校も人数が多く途中で新しい学校が作られ多くの友人たちが新しい学校に移っていった時と同じ時期なのです。
その傍らで山間部では過疎が進行し学校が無くなっていたということを知りカルチャーショックを受けました。
小さな集落ですが耕作放棄地が目立っておらず、集落はしっかりと維持されていて良い雰囲気でした。
ただ、中央道に近いこともあり時折車の音が聞こえてくるのが残念でしたが・・・
あと余談となりますが、集落から横川峠までの道は激坂で、私の足は悲鳴をあげ自転車を押し歩きしました・・・この歩きは想定外でした。(管理人)
自転車を止め集落内を歩きました


集落内の畑はちゃんと耕作され集落はしっかりと維持されていました

智里西小学校横川分校跡


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今の園原インター近くにあった本校も1979年に廃校となっていました。
この頃は団塊ジュニアの時代で子どもが多く、私の住んでいた一宮では新しい学校が作られていた時代で、私が通っていた小学校も人数が多く途中で新しい学校が作られ多くの友人たちが新しい学校に移っていった時と同じ時期なのです。
その傍らで山間部では過疎が進行し学校が無くなっていたということを知りカルチャーショックを受けました。
小さな集落ですが耕作放棄地が目立っておらず、集落はしっかりと維持されていて良い雰囲気でした。
ただ、中央道に近いこともあり時折車の音が聞こえてくるのが残念でしたが・・・
あと余談となりますが、集落から横川峠までの道は激坂で、私の足は悲鳴をあげ自転車を押し歩きしました・・・この歩きは想定外でした。(管理人)
自転車を止め集落内を歩きました


集落内の畑はちゃんと耕作され集落はしっかりと維持されていました

智里西小学校横川分校跡





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