飛彈國久々野郷大野郡山之口村(現在の下呂市萩原町山之口)と益田郡馬瀬郷川上村(現在の下呂市馬瀬川上)へは川上峠を越え行き来していました。
そんなことを知ったのは今から10年近く前に慈雲寺に立ち寄った時、駕籠があるのを見て、お寺の人に聞いたら、昔、住職が駕籠にのって峠を越え馬瀬の川上の檀家まで行ったと言われ、山之口と川上を結ぶ峠道があったことを知ります。
斐太後風土記の山之口村の項を見ると絵図にも馬瀬へ抜ける道の記載があり峠の存在していたことかがわかります。
何故、こんなことを書いたかというと、今日、仕事で山之口の山へ行き山之口のお年寄りに山を案内してもらっていたら、指をさし昔あそこを越えて川上に行ったと言われました。
私はなんて言う峠ですか?と聞くと「川上峠」と言われます。
昔、慈雲寺の住職は駕籠にのって、ここを越えたとも言われます。
即座に以前に慈雲寺で聞いた話とつながり、ここか~と感心します。
ついでに道ははっきり分かりますか?と聞いたら、はっきり分からないが、この沢をつめると昔の道がしっかりしている。
峠を越え馬瀬のほうに行くと近くに林道が開設されていて馬瀬へは道に迷わず歩いていけると言われます。
そんな話を聞くと歩いてみたくなります。
来年は実際に歩いて馬瀬へ行ってみようと思った出来事でした。
そんな峠の話を聞いた場所で、ここで昔、焼畑をして稗を作ったといわれ、焼畑をやらなくなったから木を皆で植えたとも言われました。
焼畑はいつぐらいまでやってました?と聞くと昭和15年か16年と言われます。
その時代に焼畑をやっていたと言われるご老人は推定で90歳前後と思われます。
そんな年になっても元気に山を歩かれているのか!と思い驚いたのでした。
私も、こんな年まで山を歩き続けたいとも思った今日一日でした。(管理人)
斐太後風土記の絵図(一部地名等を加筆しました)
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斐太後風土記の山之口村の項を見ると絵図にも馬瀬へ抜ける道の記載があり峠の存在していたことかがわかります。
何故、こんなことを書いたかというと、今日、仕事で山之口の山へ行き山之口のお年寄りに山を案内してもらっていたら、指をさし昔あそこを越えて川上に行ったと言われました。
私はなんて言う峠ですか?と聞くと「川上峠」と言われます。
昔、慈雲寺の住職は駕籠にのって、ここを越えたとも言われます。
即座に以前に慈雲寺で聞いた話とつながり、ここか~と感心します。
ついでに道ははっきり分かりますか?と聞いたら、はっきり分からないが、この沢をつめると昔の道がしっかりしている。
峠を越え馬瀬のほうに行くと近くに林道が開設されていて馬瀬へは道に迷わず歩いていけると言われます。
そんな話を聞くと歩いてみたくなります。
来年は実際に歩いて馬瀬へ行ってみようと思った出来事でした。
そんな峠の話を聞いた場所で、ここで昔、焼畑をして稗を作ったといわれ、焼畑をやらなくなったから木を皆で植えたとも言われました。
焼畑はいつぐらいまでやってました?と聞くと昭和15年か16年と言われます。
その時代に焼畑をやっていたと言われるご老人は推定で90歳前後と思われます。
そんな年になっても元気に山を歩かれているのか!と思い驚いたのでした。
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