創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

日暮れて道遠し

2017-06-11 18:56:20 | Weblog

 こんばんは。

 やっと犬の散歩が終わり、食事を済ませ、時間ができました。もう7時、7時半から犬の歯磨きをします。それまでに自分の歯磨きもしなければいけません。毎日こんな調子。事件事件の連続。吾輩は犬である、なら毎日そこそこ書けばいいでしょうが、私は大学の先生ではありません。しがない無職の主夫、朝から晩まで忙しいのです。

 愚痴はここまで、昨日の続きの話と行きたいところですが、入院の翌日の10月26日から退院の11月15日まで、事件事件の連続でした。1日分も千字では終わらず、二千字か三千字になり、毎日記事を書いても、入院生活1日を三日かけて書くような羽目になるでしょう。それでは書きたかった主題の不思議な言葉を何時書けるか分かりません。間は端折るしかありません。

 そこで、11月4日まで飛びます。PET検査を済ませて、大事件3つはありましたが、何とか病院に帰れました。大事件の連続で私が疲れ果て、低血糖症状になったのか分かりませんが、ベッドに入り、私が聞いた不思議な言葉に話を直行します。

 それまでの数日間の入院生活ですら、書くなら、5W1Hで書かないと吾輩は犬であるのような文章にはなりません。WHOだけでも、担当医、脳外の部長、神経内科の部長、研修医A、研修医B、婦長A、婦長B、婦長C、看護婦さん10人ほど、患者10人ほど、さらに介護タクシー運転手、PET検査技師、PET受付、売店担当A、B、C、嚥下リハビリ師、理学療法士、地域連係担当者、私の妻、娘、息子などなどの登場人物がいました。その他大勢いました。誰を端折っても片手落ちになります。書きだしたら正確に書きたくなる、私は悪い質。小説家でも先生でも教授でもありません、私は真っ当な企業人。企業人でも少数派でした。

 Whatの検査で言えば、毎日検査の連続。不思議な声を聞いたPET検査までにすでにMRI4回、CT2回。それぞれの逸話も書かないと片手落ち。本当につらい時もありました。汚い話になりそうで謝りますが、便秘と下剤の影響があったのか、検査中にお腹がとても痛くなりました。検査ベッドの上で冷や汗をかきながら我慢我慢。メインエベントだったPET検査、松戸の住民には決して薦められません。都内まで朝食せず、初めての大病院へ一人で行きました。介護タクシーは行き帰り、受付まで車いすを押してくれただけ。帰りは病院の玄関まで。松戸市は貧乏。PETが市内にないのです。子供の癌患者や意識のない病人はどうするの。私以上に悲惨でしょう。

 でも、検査以上に苦しかったのは嚥下治療のリハビリでした。息ができず、何度も死ぬかと思うほど苦しかった。原因は炎症と喉の異常のとのこと。気管支に異物が入ったのか、咳が止まらず、このまま死ねたらラッキーとさえ思えた時もありました。それらを乗り越え、PET検査までに2度、PET以後に2度のインパルスステロイド治療、その後の大量のステロイド剤服用も無事に済みました。減量戦略もいろいろ書くべきこともありそうですが、何とか無事だったと言えるかも。上にあげた何十人の方のおかげです。検査までと検査以降の関連の話もあり、文才のない私には書きようがありません。今日も日暮れて道遠し、文章の終わりが見えませんでした。

 要介護者と死に損ないの私たちの家は8時が消灯、不思議な声までとどきませんでした。すみません。今日はここまでにします。

 

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不思議を言いたいが

2017-06-10 13:22:58 | Weblog

 こんにちは。

 2項目目の不思議な話を書いています。忘れてはいません。あの世から追い返す不思議な問答、の入りの続きです。グダグダ余計なことを書いているのはご容赦ください。

 病院の玄関にボランティアか、親切な男性。入院受付まで荷物を持ってくれました。あり難い。そして病棟へ。担当の女性が病棟へ荷物を持って案内してくれました。そこは個室。まもなく婦長さんが来てくれました。ラッキー。入院を2日遅らした間に空きができたのでしょう。幸運でした。

 担当の看護婦さんが来て部屋の利用や各種の書類の書き方の説明をしてくれました。妻で経験していたので、簡単。でも経験がない年寄りは大変かも。すぐにパジャマに着替え、先生の診察を待ちました。

 間もなく、担当医が看護婦さんと後期研修医を連れ、来ました。髄液と血液を採取する、髄液採取は痛い、我慢して欲しい、動くともっと痛くなる、採取しますよ、良いですね、と言いました。私は、痛いのは我慢できる質、まな板の鯉だから、と冗談を返しました。後向きでしたので分かりませんが、研修医が針を刺したよう。全く痛くありませんでした。ありがたい、ありがたい。

 ステロイドインパルス治療を午後に開始。点滴で薬剤。何処まで身体が耐えられるか、血液検査をしがらの治療。最初は少なめでしょう。夕方にまた血液採取で判定したはず。午後に造影剤を注射し、またMRI検査。はっきりと影を見たいから。決め打ちで、入院初日からどんどん検査と治療を進めるてくれました。ありがたいありがたい。

 夕方、担当医が治療方針を説明してくれました。MRIでもCTでも、して調べて欲しい、でも延命治療はしないでほしいと、私は言いました。かなりの量の、若い人並みの量を点滴で入れるつもりとのこと。ありがたいありがたい。

 脳外の先生たちと神経内科の先生たちが研究対象例として採用頂けたよう。長年の付き合いの、脳外の部長も見てくれているとのこと。ありがたいありがたい。

 夕食の後、急に脳外の先生が来てくれました。私の症例も極めて珍しい。koderaさんの家族は特異体質だよ。日本中、いいえ世界中に手術をできる先生はいないし、原因が分かる先生もいない、ステロイド治療しかない、年を越せる確率は4分の1程度、と忌憚無く話してくれました。妻の入院からの、10年の信用が私にあるからでしょう。あり難いものです。そして担当医は優れた人、最適の人、私も毎日映像を見る。ベストを尽くす、とも。本当に幸運でした。

 不思議の話まであと少し、次回可能です。今日はここまでにします。

 

 

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入院日が大変な状態

2017-06-09 03:48:45 | Weblog

 おはようございます。

 妻はここ数年、緊急入院はありません。しかし、8年ほど前まで緊急入院する事態があり、家は入院するのに必要な用品、例えばタオル数枚、バスタオル数枚、着替えの下着類、パジャマなどなど、せっけんやシャンプーや筆記用具など必要なものはバッグに入れて押し入れに置いています。前の日、それらを私の下着類などに交換して準備は簡単でした。

 明日の入院日の天気予報は朝のうち雪でした。夕方、息子の電話があり、タクシーを予約したか、しろと言ってきました。私は予約は無理だろう、雪なら書き入れ時。バスで行くと言いました。でもせっかく子供が心配したのだから予約しようと思い、松戸のタクシー紹介サイトでリストを調べ、上から電話しました。しかし、すべてお話し中、なかなか出ませんでした。1社近くの小さい会社につながり、朝の八時の配車予約をお願いしました。

 電話窓口の年配男性は8時なら通勤時間帯、駅にタクシーが待って居る時間だ、誰か待って居るからその人を行かせる、もう一度8時前に電話してくれ、と言い、さらに電話番号と私の名前と住所、行先を尋ねられました。良かったのか、怪しいのか分かりませんでしたが、ダメならバスで行こう、少し早めが良いな、と妻に言い、極力荷物を減らしました。

 朝起きたら牡丹雪、かなり激しく降っていました。8時頃には出かけられるように用意し、昨日電話したタクシー会社に電話しました。留守番電話になり、用件を言ってくれと言われました。昨晩配車をお願いしたkoderaです、8時に配車をお願いします、折り返し確認の電話をください、と言い残しました。ところが8時過ぎても電話がありませんでした。そこでその会社にまた電話、電話の繰り返し。何度もです。全部、お話し中でした。私の電話は拒否登録されたと思いました。仕方ない。これが今の世の中なのだと。

 そこで、バスの時刻の都合に合わせ、8時半頃、駅まで雪の中をいつもなら5分ほどを、10分近くかけ歩きました。家族を送るたくさんの自動車を避けながら、左手に大きなバッグ、右手に笠、背中にリュック。駅まで必死に歩きました。足腰は坐骨神経痛、ふらふら。目はものが二重に見える状態で雪の中。雪は倍降っているように見えるのです。本当に目がくらくらしました。

 駅のタクシー乗り場にラッキーにも1台待って居ました。妻が必死に確保して、私も続いて乗り込みました。株式会社櫟山交通でした。これからはできるだけこの会社のタクシーを利用しようと思いました。皆さんもぜひ。病院には配車してくれます。こうして何とか9時前に病院へ到着したのです。

 今日はここまでにします。

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単純思考の命拾い

2017-06-08 07:24:44 | Weblog

 おはようございます。私の脳幹の陰の話の続きです。

 5時少し前、病院が終わる直前に病院へ到着、そのまま神経内科の外来窓口に行き、持たされた紹介状とCT画像を差し出した所、すぐ、診察室に呼ばれました。若いが目の鋭い先生が待っていてくれました。しめた、この先生に賭けようと思いました。私は単純即決を旨とする企業人です。先生はまず、MRI検査する、と言い、終わったらここに帰ってきてほしいと言いました。

 地下のMRI室で20分ほど検査し、すぐ戻りました。検査を見ていたのか、画像が送られてきたのか分かりませんが、先生は脳幹に大きな炎症の影がある、腫瘍かアレルギーかウイルスか菌か分からない、調べようがない、1日を争う、良い病院に今日入院しろ、入院させてもらえそうな病院は知らないか、親戚に脳外の病院の先生はいないか、と言いました。

 私は、叔父に電話し千葉大に紹介してもらえるかもしれない、息子の嫁さんは病院勤務だから紹介してくれるかも知れないと言いました。すると先生はすぐ嫁さんの病院に電話し、直接相談をし始めました。私を都内のその大手病院に送るような話をいろいろしていました。

 電話ではある程度以上話は進まず、先生は受話器を置きました。先生、待ってくださいと私は言いました。そして、私には要支援の妻がおり、妻はここの脳外の部長先生が主治医、通院している。先生から、犬を飼っても良いが、散歩させるのは二人でしろ、綱を貴方が持つなら妻のリハビリに良いから良いだろうと言われた、都内に犬と妻を受け入れてくれる所は無理、ここに入院させてほしい、と言いました。そして休み明けの25日朝一で入院させてほしいと言いました。色々準備があるし、市民バドミントンクラブの運営や犬の散歩を人に頼むため、丸1日、余裕が欲しかったからです。

 先生は、1日おくのは賛成できない、余裕なし、すぐしろ、年を越せる可能性は3分の1程度だろう。腫瘍の可能性は3割、手術はできない。陰の原因も調べられない。治療と検査を進め、間接的に分かるだけだ。今のところ、自己免疫性異常の可能性が高い、これは治療できるが、完治の可能性は高くない、すぐ再発を繰り返すのが常だ、菌かウイルスなら治療できるし完治可能。入院しても原因は分からないが、炎症をとる治療をすぐやる、検査を続ける、今年いっぱいは入院になる。それで治るかもしれないが、可能性は3分の1だろう、と言いました。

 私が、今日は帰りたい、と何度も言ったので、賛成できないが自己責任ということで明後日朝一入院にしよう、ベットは確保しておく、部屋の希望はあるか、と先生は言いました。私はできるだけ個室が良い、お願いしますと。先生は、個室は無理だろう、4人部屋の可能性が高いが必ずベッドは確保しておくと言ってくれました。そして当日は支払いだけ済ませてタクシーで帰宅しました。

 私の説明を聞いた妻はびっくりしました。しかし、本人も2度も死にかけたので脳外の先生を信頼しています。脳外にも連絡してくれたのね、早く見つかって良かったね、神経内科はどんな先生なのと言いました。脳外の部長の若い時のような先生だ。今度はこの先生に賭ける、何でも言う通りの治療に従うつもりだ、多分最善だろう、と私は言いました。先生の業績や経歴も知らず、何も根拠はなかったのですが、私は自分の人を見る目を信じています。今回の先生でダメなら何処に行ってもダメだろうと妻に付け加えました。

 入院の日まで届きませんでした。今日はここまでにします。

 

 

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せっかち故に命拾い

2017-06-07 13:45:11 | Weblog

 こんにちは。昨日は姉一家の実話でした。今日は、あの世から追い返す不思議な問答を書こうと思っています。私の昨年の経験談です。長すぎは面倒、続きは後日になりました。

 昨年、10月にものが良く見えなくなり、バドの羽も見え辛くなりました。当方のバドミントン会員に医者が何名かいます。血液内科の優秀な若手先生の妹さんが眼科医。彼に、良い眼科がないかと、10月10日前後に質問しました。彼曰く、眼医者に通い治らないなら病院で一度MRI検査をした方が良いと言われました。実は眼科医も行っていませんでした。自分で1か月ほど良さそうな市販目薬をさしていました。でも、目は良くなりませんでした。

 10月23日だったと思いますが、妻の介護者の女性が通っている近くの神経内科の先生の話をしてくれました。彼女は優しい細やかな女性。その人が通う先生なら良さそうだと、3時ごろネットでその先生の医院を調べました。町医者なのにCTもあり、何時も買い物するスーパーの隣。古いビルの2階にあり、それほど混んではいないだろう、良さそうだと思いました。

 3時半ごろ、この神経内科に行き、30分ほど待ちました。待っている間にキョロキョロ。先生の懇意な病院を知ろうと医師免許を見ました。何とその免状の隣に先生が指導していた後輩たちの感謝状がありました。何と妻がお世話になった松戸市立病院の神経内科部長だったとのこと、その科の所属の皆さんの感謝状でした。

 神経内科と脳外科は病棟も一緒。妻は10年近くまえ、2か所の腫瘍を摘出の大手術。それぞれ一か月ほど入院。何度も緊急入院。私は入院のたびにほとんど毎日、2度おかずを届けました。車なら五分の距離ですし、栄養が大事だから。部長だったなら、脳外の今の部長とも懇意だろう。すぐに紹介状を書いてくれてMRIの予定をしてくれるだろう、良かったと安心。診察もすぐしてくれました。いくつか簡単な質問をされました。

 CT画像ができ、見たら、脳幹に影があるそう。重大な病気の可能性がある。紹介状を今書くからすぐにタクシーで病院に行けと言いました。脳外科と神経内科に電話してくれました。妻の主治医とも話し、まず神経内科で良く診察しようとなり、神経内科の当日の当直医と話し、すぐにMRI検査をすることになりました。

 長くなりすぎ。市立病院の話からは後日にします。自分の不思議な話は終わりそうにありません。すみません。

 

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魂のお願いもある

2017-06-06 10:13:47 | Weblog

 おはようございます。

 私が特に印象に残る話は下記の4項目です。この他にも死にかけた人が見た夢の話はいくつか覚えています。でも、他のケースも下記の4項目の何れかに近いと思えますので、koderaの定石の通りに進めます。その結果が下記の4項目です。

・寺を訪れる不思議な物音

・あの世から追い返す不思議な問答

・寝たきりの高齢親子が温泉に旅立ち

・交通事故の意識不明の人が見た花畑

 これらをそれぞれ主題として説明をすると長くなるでしょう。あの世の話だけでも、本を書かなればいけなくなりそうです。でも残念ながら、私には文才はありません。

 そこでまず、寺を訪れる不思議な物音の話だけを簡単に説明します。私の創造性の考え方から言えば、このひとつの項目をさらに4項目に分解し、箇条書きで説明すべきかもしれません。でも、ブログですのでそのまま書き流しします。この話でも長くなりますが、最後まで我慢して読んでください。

 義理の兄は館林では、真言宗のそこそこに偉い立場の坊主のようです。死にかけた私と妻は立派な生前戒名を彼から頂いています。寺に嫁いだ姉はこの十年で二度ほど死にかけたようです。3年ほど前の二度目は心肺停止になったそうです。でも、奇跡的に生き返り、今はそこそこ元気にしています。

 姉は義理の兄が寺を継いだ20年ほど前に大黒の役割をし始めたようです。子供の時から算数が苦手、工芸も苦手、小説と歌や音楽が好きでした。好きなことをして村に溶け込もうとおもったのでしょう。1年に一回盆踊りのカラオケ大会。2回は著名人を呼んだ講演会や牡丹祭りなど。お正月は新年会。すべて参加費は寺持ちで開催しているそうです。檀家の皆さんが手弁当でお手伝いをしてくれているのでは。

 さらに、本人だけで、毎週1回、檀家の人たちに講話会の講師をしているそうです。無料の茶話会のようなものでしょう。色々読んだ小説や伝記の話、特に海外の探偵ものや坪井栄の涙の物語がすきだったのを覚えています。姉の話を村の年寄りたちは楽しみにしているそうです。今は講話会の参加者はとても増えたそうです。

 この講話会も、各種のイベントも全く商売っ気なく始めたようです。自分が病弱でしたので少しでも体の弱った年寄りのためになろうと思って始めたそうです。村によそ者が溶け込むのは大変なものですが、今は皆さん姉を頼りにしているようです。特に茶話会が評判がよく、参加者は口コミで増えていきました。寺の墓地は、数倍に増えたのでは。檀家の協力もあり、本堂も観音様も立派に再建されました。

 理由です。死期を悟ったり、また感銘した話を聞けた人は、お葬式はこのお寺でしてほしい、墓をこの墓地に建てて欲しいと家族に希望したようです。檀家さんが増えました。珍しいお寺さんかもしれません。

 講話会を楽しみにしている人が病気になり、出席できなくなり、いよいよとなる時がいつか来てしまいます。すると、明日、その年寄りの家族がお葬式の相談に来る朝は前の晩の夜中には分かってしまうそうです。

 風もない夜でも、寺の木戸がゴトゴト音を必ずたてるそうです。その他、寺の周囲が真夜中なのに騒がしくなるそうです。もの音があり、誰かが来たかと思って、本堂などに見に行っても、人も猫も犬も居ないのが常だそうです。全く無風の夜もだそうです。

 ですから魂がお願いに来て、音をたて、明日の準備に備えて欲しいと言っていると言っています。住職も姉も、またその子供の坊主も言っています。馬鹿をいうなと私は笑って言っていました。ところが、昨年末に私も死にかけて、この話は本当なのだと思えるようになりました。不思議ですが信じるしかありません。

 今日はここまでにします。

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いい加減に論旨を設定

2017-06-05 17:28:25 | 小論文

 こんばんは。さていい加減に4項目の箇条書きができた段階です。個々の箇条書きの改善はバドミントンのサイトに任せ、この創造性の開発のブログでは論旨の仮定をまずします。以下に前回の記事の4項目を再掲します。

①学童のスポーツと勉強に関する相関関係と教育法

②安倍首相や長谷川三千子女子の思想に対する賛否

③緩和ケア、死期における看取り、病床の心霊現象

④科捜研の女や相棒やスマップメンバーの人気推移

 どれを結論としても、良さそうに私も思えますが、今の死に損ないの体調ではやはり③を最重要のテーマ分野だとしましょう。そして以下の順に論旨を展開することを考えます。次に大事なテーマは②かもしれません。koderaの小論の手法ではこの項目を最後にします。そして今の死に損ないの私にとって①と④をそれほど重要なテーマとは思わなくてもよさそうですので、中間に時系列順と思える順に仮置きします。とりあえず並べ替え、4項目は下のようになりました。

③緩和ケア、死期における看取り、病床の心霊現象

①学童のスポーツと勉強に関する相関関係と教育法

④科捜研の女や相棒やスマップメンバーの人気推移

②安倍首相や長谷川三千子女子の思想に対する賛否

 他人から見たらバラバラなテーマが4項目並んでいるように見えるかもしれませんが、会社の企画書はこのようにバラバラの情報から都合の良い、上司が信じてくれる論旨を作りあげることになります。論旨としてはまだないものを産み出すわけですから、なかなか難しいことです。

 まず、結論の仮置きは③としたわけですから、③の文章、しかもその先頭の入りが大切なわけです。次回から③を分解した4項目箇条書きに挑戦します。どうなるか自分でも全く予想できません。だから創造性の発揮は楽しいわけです。随時随所楽しまざるなし。

 今日はここまでにします。

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