創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

弘法大師のお声かも

2017-06-11 19:45:06 | Weblog

 おはようございます。

 入院し、確率25%で年を越えられると聞いた私はもう家に帰れないかもと思いました。長年の非礼を詫び、入院したと簡単に同じ文章で、携帯の住所録のほとんどの人にショートメールで入院を報告しました。100人は下らない数。今のバド仲間や無料支援している二人の阿保、非常勤の学校や大学の責任者にも。

 どれくらいの比率で返事があるか楽しみだったからです。ない人は死亡通知を出さないでくれ、葬式は極力家族葬、返事があった人には連絡可、と妻に言いました。さて何割からあったと思いますか。幸か不幸か、両手の指に余るだけありました。今までの私の悪行の結果です。

 でも、非常勤時代に一生懸命に支援した2学校法人の責任者たちからはゼロ。シャープと富士通はそれぞれ1名。1名ですよ、情けないのかラッキーなのか。10人程度の人がすぐに返事をくれました。不思議なことに東大卒の人、開成卒の人、医学部の人などなどがすぐ返事をくれました。返信は私が優秀だと思っている人ほど早かったのです。優秀な人ほどすぐにコミュニケーションするという、koderaの第110番程度のいい加減な法則の通りでした。

 家族以外でお見舞いに来たのはたった3人。しかも治るつもりになれたPET検査映像検討の説明以降。即ちPET検査の翌週から。PET検査までは家族が30分ほど時々くるだけ。障害者と貧乏現役の二人の子だから仕方ない。他人で来たのは元私の非常勤高校のバドバカ教頭の、今のアホ校長。馬鹿だから可愛い、二度も。それと私の相棒のネットバカの父とその可愛い娘だけ、やはり親父は二度。

 このような孤独死が理想の私の、まだ検査検査の段階で見た夢、PET検査の当日の直後。私は恥ずかしながら、弘法大師様の声だと密かに信じています。友人や家族にこの話をするときは、冗談のように、閻魔様か死神か神様か仏様か夢か病院の秘策支援か分からないと言っていますが。

 そのお言葉を下記に簡単に記します。その御言葉は夢か現か、話は後日するつもりです。「お前はまだ苦労が足りない。今の阿保の二人を支援し、もっと苦労しろ。まだ連れていかない。」が趣旨でした。たった1、2時間の問答で、一生の懺悔をさせられました。本当に怖かった。もういいでしょう、連れてって、お願いしてもダメなのだから。

 面倒を見ろと言われた二人はお見舞いに二度来たアホ。しかも20年近く、kodera家の墓や寺や葬式や財産整理の考え方の違いから、喧嘩状態になっていた兄が病院代支払いの申し出と、お見舞いを持って病院にくると妻へ電話。戒名を頂いた寺の大黒の姉から妻への電話。二人とも年末近く暇になる、来たいと言ったとのこと。私が思いの他に早く治り、来ませんでしたが。

 本当に不思議。声の主は全部お見通しだったから。今日はここまでにします。

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日暮れて道遠し

2017-06-11 18:56:20 | Weblog

 こんばんは。

 やっと犬の散歩が終わり、食事を済ませ、時間ができました。もう7時、7時半から犬の歯磨きをします。それまでに自分の歯磨きもしなければいけません。毎日こんな調子。事件事件の連続。吾輩は犬である、なら毎日そこそこ書けばいいでしょうが、私は大学の先生ではありません。しがない無職の主夫、朝から晩まで忙しいのです。

 愚痴はここまで、昨日の続きの話と行きたいところですが、入院の翌日の10月26日から退院の11月15日まで、事件事件の連続でした。1日分も千字では終わらず、二千字か三千字になり、毎日記事を書いても、入院生活1日を三日かけて書くような羽目になるでしょう。それでは書きたかった主題の不思議な言葉を何時書けるか分かりません。間は端折るしかありません。

 そこで、11月4日まで飛びます。PET検査を済ませて、大事件3つはありましたが、何とか病院に帰れました。大事件の連続で私が疲れ果て、低血糖症状になったのか分かりませんが、ベッドに入り、私が聞いた不思議な言葉に話を直行します。

 それまでの数日間の入院生活ですら、書くなら、5W1Hで書かないと吾輩は犬であるのような文章にはなりません。WHOだけでも、担当医、脳外の部長、神経内科の部長、研修医A、研修医B、婦長A、婦長B、婦長C、看護婦さん10人ほど、患者10人ほど、さらに介護タクシー運転手、PET検査技師、PET受付、売店担当A、B、C、嚥下リハビリ師、理学療法士、地域連係担当者、私の妻、娘、息子などなどの登場人物がいました。その他大勢いました。誰を端折っても片手落ちになります。書きだしたら正確に書きたくなる、私は悪い質。小説家でも先生でも教授でもありません、私は真っ当な企業人。企業人でも少数派でした。

 Whatの検査で言えば、毎日検査の連続。不思議な声を聞いたPET検査までにすでにMRI4回、CT2回。それぞれの逸話も書かないと片手落ち。本当につらい時もありました。汚い話になりそうで謝りますが、便秘と下剤の影響があったのか、検査中にお腹がとても痛くなりました。検査ベッドの上で冷や汗をかきながら我慢我慢。メインエベントだったPET検査、松戸の住民には決して薦められません。都内まで朝食せず、初めての大病院へ一人で行きました。介護タクシーは行き帰り、受付まで車いすを押してくれただけ。帰りは病院の玄関まで。松戸市は貧乏。PETが市内にないのです。子供の癌患者や意識のない病人はどうするの。私以上に悲惨でしょう。

 でも、検査以上に苦しかったのは嚥下治療のリハビリでした。息ができず、何度も死ぬかと思うほど苦しかった。原因は炎症と喉の異常のとのこと。気管支に異物が入ったのか、咳が止まらず、このまま死ねたらラッキーとさえ思えた時もありました。それらを乗り越え、PET検査までに2度、PET以後に2度のインパルスステロイド治療、その後の大量のステロイド剤服用も無事に済みました。減量戦略もいろいろ書くべきこともありそうですが、何とか無事だったと言えるかも。上にあげた何十人の方のおかげです。検査までと検査以降の関連の話もあり、文才のない私には書きようがありません。今日も日暮れて道遠し、文章の終わりが見えませんでした。

 要介護者と死に損ないの私たちの家は8時が消灯、不思議な声までとどきませんでした。すみません。今日はここまでにします。

 

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