創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

教科書は似たり寄ったり

2010-01-07 08:57:41 | Weblog
おはようございます。

 新年早々、情報Bの教科書の調査にはまり込んでいます。今日も飽きもせず情報調査、東京都教育委員会ホームページに各社の教科書の検定結果が纏められていました。技法や知識の記述の検定について腐るほど記載されています。各社の教科書は違うといえば違いそう。でも、月とすっぽんと言うほどの違いはなさそうと思いました。

 笑えるのはページ数や表の数、はたまたカラー化されているかなどが評価のまとめの表にあったこと。安いほうが良いなら、白黒やPDFでも良さそうなのに、押しなべてふんだんなカラー、さぞかし作成費が高く、原価がかかっていることでしょう。だから良いのでしょう。これは冗談。ページ数に至っては、多いのが良いのか少ないほうが良いのか良く分かりません。会社は少ないページ数、1ページが一番評価されます。せいぜい4ページどまり、事業部の計画すら、数ページ。

 私が頂いた本は比較的最近認定を受けたよう。なかなか良い本と感じたのはそのあたりがあるのかもしれません。どうやら今の学校で使っている教科書に限って見ても、情報教育の教科書は当たらずと言えど、遠からずなのかもと思いました。

 そこで、私が教科書検定員だったらどのように評価するか考えてみました。薄さはOK.。持ち運びに便利だからです。内容は豊富すぎ。NTT社員ですら全部は理解できないかも。富士通の新人なら、50点も取れないでしょう。私の時代、富士通は全新人に1ヶ月間缶詰でコンピュータを教え、私はシステム開発でしたので、7月まで缶詰で詰め込まれました。それ以上の豊富さでしょう。豊富すぎ。3の評価です。カラー写真が多いのは困りもの。高いはず。評価は2点です。

 全体的な印象はNTT社員になるならかなり使えるかもしれません。その用途なら4または5かもしれません。しかしビルゲイツやバフェット、またはジョブスを養成したいなら、1かもしれません。私が使うとしてどうでしょう。教育委員会の枠組みの中で、一般教科の時間割の中で使うなら5ですが、それでは私はお呼びではありません。だからあまり評価できません。

 放課後のクラブ活動に使うなら、今の教科書は無力かも。もちろん全ての副読本のカタログを見たわけではありませんが、シミュレーションひとつをとっても、面白くありません。面白くなければ、絶対に創造性が発揮できず、やらされているになるでしょう。モデル化など不可能です。

 公序良俗に従い、倫理観を高め、かつビジネスに役立つ教材は自分で作らなければいけないのかもと思いました。ますますこの課題にはまり込んできました。

今日はここまでにします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

指導要綱を解釈

2010-01-06 08:23:44 | Weblog
おはようございます。

 情報教科の指導要綱について、文部科学省のホームページに大量の情報がありました。ありすぎ、言いすぎでしょう。情報が多すぎて、浅学の私にはよく理解できませんでした。細かい点まで要件が記載されていて、先生は大変かも。角を矯めて牛を殺す、となりかねません。明治時代、役人に逆らい、迷える人と一緒に考えてくれた井上円了先生を私は尊敬しています。もっとも円了先生が生きていたら、今のご自身の母校や学校教育の現状にお嘆きになるでしょう。

 仕方なく、Wikipediaで情報教科を検索しました。情報 (教科)の項目を簡単に見つけました。誰が書いたのか、分かりやすい内容でした。なるほどそういうことなのか、とトンネルの先に光明が見えました。情けないことです。情報の真偽は情報源に戻って確認せよ、と中村洋四郎さんから指導されてきたのに、私も怠っています。ごめんなさい。

 私は女子大で市場情報論とデータベース論を教えていました。熱心なのはごく一部。多くは単位が欲しいだけ。フードコーディネータの必修科目でしたので。私は毎年期末にレポート提出を課しました。インターネットの情報をコピーしたような、常識的なレポートは『可』、独創のようだが常識的または間違いに『良』、独創的、しかも間違いではないに『優』を与えてきました。今回はインターネットで調べただけ。申し訳ありませんが、まとめを以下に示します。情報教科の詳細はWikipediaや文部科学省のサイトで参照してください。

 情報Bはどうやらやや理系的。情報技術の影響、コンピュータ情報の表現法、コンピュータ活用科学的手法の習得を目指しているよう。情報Aや情報Cと比べ、この科目を開講している学校は少ないとのこと。私が勤めている学校は少数派。やや満足。一方、情報Cはやや文系的。テレビ放送や新聞、出版に関連した知識の勉強なのかも知れないと感じました。すなわち、Cはコンテンツを自分で調査し、結論や論旨を創造できれば良いのだと、納得しました。私の理解が間違っていたら、勘弁してください。

 私が高校で教えたいのは情報Bの先。プロになれるか、なるために何を学び、これから何を身に付けるか、と言うこと。情報の知識ではなく、情報の「知識を獲得するための技法や知識や倫理」です。意義のある課題になりそうだと少し安心できました。

 文部科学省の指導要綱を読み、プロ中のプロ、日本にいそうもないプロを育てろ、といわれているように感じました。Wikipediaを読んで、そうでなくても良さそうだ。富士通に勤めたい、いえ朝日新聞だ、ビルゲイツになりたい、スティーブジョブスに憧れる、アーランケイだ。いや私はゴードンベル、いえ、ウインストンを尊敬するなどと論じられる高校生を育てるほうが意義があるかも知れません。これなら私も大好きです。

今日はここまでにします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情報科目の内容

2010-01-05 14:13:57 | Weblog
こんにちは。

 情報教科に関連した、情報分野のクラブ活動について、高校の理事長に助言を求められています。このため、情報に関する、高等学校の教育内容を調べることが必要になりました。昨年末、情報教科の先生にお願いし、使っている教科書を貸していただきました。

 実は私は、この歳になるまで情報の教科書を読んだことありませんでした。高校の情報の教科書を初めて手にし、正月、ゆっくり読みました。本の表題は情報B。Bがあるなら、Aもあるのだろう、と思い、文部科学省のホームページを検索しました。何と、A,B,Cとあります。指導要綱の作り方や、内容に関する規制または助言がたくさん記載されています。えらく難しい内容。コンピュータシステム開発のプロを自認している40年の経験者が、知っていれば苦労しない、と言いたくなる内容です。

 3つの情報科目を説明している先頭に、「情報及び情報技術を活用するための知識と技能の習得を通して,情報に関する科学的な見方や考え方を養うとともに,社会の中で情報及び情報技術が果たしている役割や影響を理解させ,情報化の進展に主体的に対応できる能力と態度を育てる。」とあります。

 その通り、だから難しい、のです。私が40年前から東大と富士通と女子栄養大学でやってきて、自分の至らなさを実感し、悩んできたことばかり。この分野で生きてゆこうと決めた若者の相談相手になってあげられただけ。勉強嫌いの高校生や、仕方なく基本教科を勉強している人、大学や社会で何を生業にするか考えたこともない人を指導できる能力はない、と正月早々自信喪失。気が重くなりましたが、お酒の力を借り、気を取り直し、それぞれの内容を読んでみました。

 情報Aの目標は、「コンピュータや情報通信ネットワークなどの活用を通して,情報を適切に収集・処理・発信するための基礎的な知識と技能を習得させるとともに,情報を主体的に活用しようとする態度を育てる。」です。その通り。でも、富士通の新人だけでなく、プロのSEが主体的に活用できる能力を身に着けているとは到底思えません。私がいつも私の師匠、中村洋四郎元富士通のシステム開発の責任者と話していることです。もちろんシャープも同じ、ソニーもでしょう。

 情報Bの目標は「コンピュータにおける情報の表し方や処理の仕組み,情報社会を支える情報技術の役割や影響を理解させ,問題解決においてコンピュータを効果的に活用するための科学的な考え方や方法を習得させる。」これも全く異論なし。でも、ビジネスマンの誰ができているの、と疑問が沸きます。情報Cは「情報のディジタル化や情報通信ネットワークの特性を理解させ,表現やコミュニケーションにおいてコンピュータなどを効果的に活用する能力を養うとともに,情報化の進展が社会に及ぼす影響を理解させ,情報社会に参加する上での望ましい態度を育てる。」です。これも正論です。

 しかし、疑問が沸きます。AとBとCの本質的な違いを理解できる高校生がいるのでしょうか。いえ、むしろ、社会人の誰もが反対できない、全部同じ事を言っている、当たり前のことを言っている、だけではないでしょうか。その高校の情報の教科書の先頭に書かれている情報理論の大家、悲劇の人、シャノンの教えによれば、誰もが正しいと思えるデータは情報量ゼロ。情報量は出現率の逆数で表現される、のです。そう思って40年間、商品企画や事業企画を担当し、プロとして認められてきました。

 情報分野のプロの卵を養成するのは今までの仕事の少なくとも2倍ほど難しいことかもしれません。でも、そう思うからこそ、この業務を最後の総仕上げの仕事にしたい、思いも強くなってきています。

今日はここまでにします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

略号は難しい

2010-01-03 07:23:48 | Weblog
おはようございます。

 昨年暮れ、今年の担当業務について高校の理事長と面談しました。プレゼンテーション資料を使い、40分ほどお話させて頂きました。良いプレゼン資料を作るのは商品企画の任務ですが、私が真剣に作ったのは30年ぶり。人生で3回目でした。ちなみに1回目は富士通の小型機事業の開発、2回目はシャープでUNIXコンピュータの開発、今回はITCクラブの提案です。

 40分ほど話す中、時々、「それは厳しい」、「無理だ」と理事長は口を挟みました。私の資料は数枚が要点、後の20枚ほどは流し。煌びやかな文言を並べるのが定石。さすがに高校の理事長はたいした人。要の頁で半畳を入れます。そこは私の信念をあからさまに記述したとこ。私にとって、優れた頭脳の持ち主に説明するのは容易でした。

 概ね、了承いただきました。理事長ご自身がアレンジし、理事会などで提案いただけるのかもしれません。ここまでは読み筋でした。最後に、理事長は「ところでITCとは何の略ですか」と表題を質問してきました。質問されるとは思っていませんでした。偉い人は知らないことを恥じ、知識不足が露呈する質問はしません。本当に知らないのか、とぼけて間違いを指摘されたのか、私は一瞬迷いました。

 時間も迫っていたため、適当に「インフォメーション・テクノロジー・アンド・コミュニケーションの略です」と言って退席しました。普通、このように理解されるだろうと予想したからです。なお、ICTという言葉は総務省の役人が好きなのか、今、よく使われます。ITという言葉は、経済産業省の役人が好きだった言葉、今は劣勢かも知れません。これらの言葉について、思う所を後日書くとし、話を急ぎます。なお、私はこれらの言葉の生い立ちからICTもITも嫌いです。むしろ、根っからのコンピュータ屋を自認する人間としては、「情報とは情を報じる事、すなわちコミュニケーションと言うこと。コミュニケーションは通信ではなく、人と人が意思や信念や感情を伝え合うことだと思っています。

 私が好きな意味から、私は理事長に簡明に答えたつもりでした。しかし、この正月、ゆっくり考えていたら、この意味では私が担当する意味がないと思い始めました。情報教科の先生なら、私し以上にできるからです。なぜ私は他人ができることを理事長に提案したのか不思議でした。しかし、昨晩、突然閃きました。私はコミュニケーションや情報の技術ではなく、創造性教育の意味でTとCを使いたかったのだと。すなわち、インフォメーション・トレーニング・フォア・クリエイティビティだったのだと。これなら、自分以上の人を私が見つけるのは苦労するからです。人の言葉は自分の深奥から考える暇もなく飛び出してくるのでしょう。

 ちなみに、ITCとは東大や慶応の情報技術センタの略か、アメリカの正義の味方、実は保護貿易の砦の略号としてコンピュータ分野では使われているのではないでしょうか。

今日はここまでにします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教学相長を楽しみます

2010-01-02 08:07:53 | Weblog
 明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。

 半年以上、ブログに新しい情報を掲載できませんでした。今年はできるだけ、1週間に2度程度を目標に新しい記事を掲載したいと考えています。三日坊主にならないようにしたいとは思っています。当面、このブログを始めた時の狙いである、私の経験談に絞り、掲載します。

 最近、私は不遜にも、権威や多数が正しいとますます思えません。自分に自信ができたのか、頭がボケて、他人を理解できなくなったのか、の何れかです。私の経験からは、権威者や博識者の言葉に度々異論を感じています。残り少ない人生、経験から、創造性や新しい仕事に意見を述べたいと思っています。このため、最近の話題から遠ざかるかも、メディアのニュースからも遠ざかるでしょう。それで良いと自分に言い聞かせています。

 日本の苦境はさまざまな要因が絡んでいるでしょう。ほとんどの人の意見が正しいでしょう。100人いたら、正論が400個ぐらいあるでしょう。でも、多くが矛盾し、あちらを立てればこちらが立たないでしょう。間違ったひとつに絞るより、鳩山政権のように、あっちにふらふら、こっちにふらふらがベターです。政権の臍の人を私は知りませんが、相当の切れ者が裏でタクティックスを作っているのだと私は推測しています。それで国は良いのでしょう。

 しかし、それでは個人や1企業は困ります。できることは限られています。若い人なら、選べる手段はたった一つ、選んだタクティックスが将来を決めてしまいます。東大を受けるなら、東工大は諦めるし、学問を志せば、法律も出世も、スポーツも趣味の範囲に留めなければいけません。何を選ぶか、大問題です。自分探しなどできるはずがありません。やっていることが上手くなり、結果的に好きになるのです。

 私はこの歳になり、実践しか意味がないと悟りました。正に、俗の中に真あり。権威や多数を信じてはいけない。原理原則に戻り、自分が創造的に考える。私の先生たちの言葉です。纏めると、教えると学ぶは裏腹である、の中村洋四郎さんの教えになります。これしかないと悟りました。4字熟語で言えば、教学相長、です。私が勉強するために高校生に教え、私が勉強できるから高校生が勉強になるのだと悟りました。

今日はここまでにします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする