徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

成長

2021-03-07 16:31:14 | Weblog

 先日、話の出た我が家の「雛人形」がどうなっているか、散歩の途中、廃屋を覗いた。凍てついていた部屋の空気も大分緩んできた。雨戸を開けカーテンを引くと、以前の生活が戻るようだ。書棚には私の本が埃を被っている。一冊一冊にはそれぞれの思いがあるが、今は興味を失ってしまった。

 押し入れから収納箱を出し、開けてみる。どうやらネズミにかじられた風もなく我が家の「雛人形」は無事のようだ。家内がしっかり収納したのだろう。お姫様を手に取ると、思っていたよりも大きい。八段並んでバランスが取れるのだろう。

 家内に話をすると、いつまでも放っておく訳にもいかないね、という。引き取ってくれるところもないなあ、と私。供養をして処分する、と聞いたことがある、と家内が加える。そこで、インターネットで処分方法を調べてみた。お寺か神社で供養してもらい、焚き上げるのが一般的とある。

 考えてみれば、娘2人が成長した感謝の気持ちを込める訳だから、ゴミとして出す訳にはいかない。供養してくれる神社かお寺が近くにあれば良いが、余り聞いたことも無い。感謝の気持ちを忘れないように、少し考えてみよう。

 2人の娘の年を数える春待つ日。

 ミャンマー編 ヤンゴン  シュエダゴン・パゴタ 浄水をかけて願掛け 今はミャンマーに平穏を。平成26年2月13日撮影

 


凍結

2021-03-07 07:56:55 | Weblog

 廃屋に顔を出した。越冬用に保存しておいた白菜とキャベツはすべて処理した。腐らせることもなく、感心するほど冬の食材となった。10年以上人の住んでいない家は、まるで冷蔵庫のようだ。現在の建物のように、断熱材も入っていないので、空気が冷え切っている。

 仏壇とサイドボードに机を2つ移したくらいで、それまでの生活がすべて残っている。2階には娘2人の机と教科書や本などが手もつけずに置いてある。幼い頃から家を出るまでの生活のすべてが凍結されている。

 前の家に物を探しに入るのは私だけだ。家内も娘たちも思い入れはなさそうだ。それでも私には、そこで育ったという拭えない記憶がある。新宅で土地が狭く、無理をして建てているので、使い勝手も良くないが、そこで2人の娘を育てた。

 この廃屋は、吊り天井の居間のある家で育った家内には、大きなストレスだったようだ。現在の家は、家内の思い通りに設計して貰った。最初の計画より広くなったが、孫が帰省して、家の中を飛び跳ねているのを見ると、これで良かったのかとも思う。狭いながら、私の書斎らしき部屋もある。そこでパソコンと向き合っている訳だ。

 道脇に黄色いクロッカスが咲いていた。

 ミャンマー編 平和だったバゴーの街角平成26年2月15日撮影