徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

犠牲

2010-03-20 11:38:07 | Weblog
 在職中から公私にわたりお世話になってきた人の初彼岸である。先ほど線香をたてに行ってきた。私が出会った頃は40歳を出たばかりだったが、農家の先頭にたって事業を進めていた。野菜が出来る時期になると、農政局の事業所の庭にキャベツや白菜を届けてくれた。

私たちはそれを肴に一杯やったものである。当時は30代の役員も何人かいて、とにかく、活力に溢れており、予算が足りないとなると、大臣の私邸まで陳情にいく元気であった。過疎地域を意識するのは、有利な補助金の申請をする時くらいだった。

奥さんが「父ちゃんが外ばかり出ていたので、私は家から出れなかった」と話していたが、確かに家庭を犠牲にするだけで、役得は全くなかった。後年、なんであんなに頑張れたのか聞いたのだが、一言、「誰もが畑が欲しかった」

午後、長女が帰郷するので迎えに行く。