徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

彼岸

2010-03-19 17:13:26 | Weblog
 午前中、2時間ほど「会報」の原稿を打った。スタートはやはり「過疎団体」とした。私が帰郷したのは昭和47年3月である。9年間の東京生活を切り上げた訳だが、当時ふる里は輝いて見えた。前年に過疎の指定を受けたことなど全く感じさせなかった。

キャベツの生産が本格化し、先行していた岩手かんらんを追い越す勢いであり、農家の生産意欲の高さにひどく驚いたことを記憶している。それから三十数年間、農家と共に生きてきたわけだが、キャベツの価格が低迷すれば生産過剰、約束違反と議会からも批判されたのだが、今、誰もそれを言わないのが不思議である。

嬬恋の財政悪化の原因の一つが事業の負担金だが、事業そのもの評価については自分は遠慮する。何といっても当事者の一人なのだ。あの時代に戻ることはないだろうが、子供たちが戻れるふる里にしたい、といつも考えている。

チョッと感傷的な彼岸である。