蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

勝五郎少年の転生話、展示会に行きました

2008年10月01日 | Weblog
東京日野市の新選組歴史館で開かれている「程久保小僧・勝五郎生まれ変わり物語」に行って来ました(十月一日)。展示目的が明確である事、平田篤胤の一級資料が用意された事などすばらしい展示になっています。
中野村(現在八子市東中野)勝五郎少年がある日ふと姉に語った話、それは「生まれる前は程久保村(日野市程久保)の九兵衛の子藤蔵(とうぞう)だった」と驚くべき内容でした。初めは姉と兄とだけの秘密だったが、両親に知れ、村中に知れ渡りました。文政五年(一八二二年)のことです。
勝五郎少年は前世と死後を事細かにおぼえています。前世の家屋庭、井戸などの配置。柿の木があった。数えで六歳の時疱瘡で死んだこと、棺桶に入れられ山の墓地に連れて行かれた。野辺送りの途中で霊魂が抜けだし、葬列の様を見ていた事、母が悲しんでいる様子、棺桶が墓穴に入ってどすん揺れ驚いたなど。
その後は森の中を一人でいると白髪の黒衣老人が手招きしてあの世に行った。篤胤はこの老人を産土神(うぶずなかみ)として注目した。死霊をあの世に導くのは産土神だった訳ですね。
この話は中野村に終わらず、江戸市中でももっぱらのうわさ話として広がり、池田冠山(鳥取藩支藩の藩主)の来訪、彼に勝五郎再生前世物語として書き残され、さらに平田篤胤、後にはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)にも取り上げられるほどになりました。
篤胤の上洛(文政六年一八二三年)に伴い、禁中にも伝聞が広まった。この当時、上は禁中(仁考天皇)から下は江戸中の庶民まで話題になった一大伝奇物語だった。(以上は展示会場で配布された資料から)
部族民=TribesManとしてこの再生話を三点から注目します。
まず死んだ後の発言が生々しく臨場感があること。霊となって山野を歩き回り、きれいな野花を摘もうとしたら烏に諫められた、葬式の供えもの饅頭から湯気がホカと立っていたことなど。墓穴に棺桶ごと投げ込まれてドカンとは前述とおり。
次に霊魂として死体から抜け出す、山野を彷徨う、黒衣の老人(産土神)に手引きされあの世に行くなどは大昔土着の日本人が信仰していた精神世界そのものです。
最後に実は、この話;
内容こそ違えTribesMan.asiaのHP(十月十日に立ち上がり)の巻頭を飾る「たはけの果て黄泉の別れイザナギ」(蕃神氏作品)の状況と酷似していることの三点です。
三点目の類似性、これには驚きました。蕃神氏に連絡をとって「イザナギ」の着想に「勝五郎の生まれ変わり」があったか聞いて見たら、本人はこの話を知らなかったとの事。早速見学に来市する予定をたてるそうです。
異界交流、生まれ変わり、あの世案内に産土神など。こうした話に関心ある方にお薦めの展示です。
江戸時代には「部族民」はまだ健在だったのだ!特に多摩地区(東京の辺境)ではそうだったのだ!!(TribesManの述懐です)

展示の詳細は:http://www.city.hino.lg.jp/index.cfm/185,49385,225,html
WIKIすると、
産土神 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E5%9C%9F%E7%A5%9E
平田篤胤:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E7%AF%A4%E8%83%A4
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする