和歌山県海南市下津に、紀州家の歴代藩主のご廟が、山の斜面に広がっている。エジプトの王家の谷のように、歴代藩主と奥方の廟が散在しています。
近くを通っていた国道のバイパス道路が出来てからは、訪れる人も少しは減ってきたと思います。
知る人ぞ知る古刹である。此処には国宝の伽藍が三つもあるという由緒ある寺です。
紀の国は蜜柑どころ、周囲の山全体が蜜柑畑である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/ae/2e79b08db55443bbd195962217789c66.jpg)
今は木に成っている蜜柑は青くて固くて、石の様に固い。車を停めて、蜜柑の木に近づくと、鈴なり状態である。
さて写真では何個の蜜柑が見えますか。
⑩
長保寺への道路は、立派に整備され、蜜柑畑を両目で見ながら進みます。寺まで1kmくらいから、灯篭が並び、粒の揃った緑の庭石が並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/01/af812caba213a622ce44eb73d37b6b2e.jpg)
国宝の大門が見えてきました。室町時代の遺構を残した美しい屋根の曲線を持つ山門である。30年位前は、両側はすべて蜜柑畑でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/d8/b18cde7fd609966e3a12edbe6621bde6.jpg)
当山は、性空上人の創建といわれています。彼は書写山園教寺や、先日、当blogでアップした山口県光市普賢禅寺を創建していた。
この仁王様のいる大門は、当山の国宝3伽藍の一つである。両サイドには大きな草鞋が釣ってあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/37/aaf3ae56852ef9233a5e6ce0f4f8cfe7.jpg)
中で頑張っている阿吽の仁王は、大門よりも歴史が古く、かの湛慶作と伝える。奈良東大寺の仁王様と似ていないこともない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/f5/41a661c35635d802c008e774c45ef941.jpg)
境内の俯瞰図で見ると、歴代紀州公の廟が斜面に散在しています。8代将軍吉宗公は紀州藩主だったが、江戸に出たので、彼の廟だけは、東京にあります。
此処の御廟の石碑は、字が書いてありません。のっぺらぼうの石碑だけが立っています。その訳は諸説紛々、推測の域を出ないので、一度考えてみてください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/61/fb4979b05dc6799f7a5105597a724aa9.jpg)
祭祀のとき名は賑わうのでしょうが、普段は、話相手になってくれて、気持ちが癒される女性が世話をしている茶店が一軒。
近くを通っていた国道のバイパス道路が出来てからは、訪れる人も少しは減ってきたと思います。
知る人ぞ知る古刹である。此処には国宝の伽藍が三つもあるという由緒ある寺です。
紀の国は蜜柑どころ、周囲の山全体が蜜柑畑である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/ae/2e79b08db55443bbd195962217789c66.jpg)
今は木に成っている蜜柑は青くて固くて、石の様に固い。車を停めて、蜜柑の木に近づくと、鈴なり状態である。
さて写真では何個の蜜柑が見えますか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/9a/78fb6381fdf4a86c5d96ec3eb18aacc1.jpg)
長保寺への道路は、立派に整備され、蜜柑畑を両目で見ながら進みます。寺まで1kmくらいから、灯篭が並び、粒の揃った緑の庭石が並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/01/af812caba213a622ce44eb73d37b6b2e.jpg)
国宝の大門が見えてきました。室町時代の遺構を残した美しい屋根の曲線を持つ山門である。30年位前は、両側はすべて蜜柑畑でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/d8/b18cde7fd609966e3a12edbe6621bde6.jpg)
当山は、性空上人の創建といわれています。彼は書写山園教寺や、先日、当blogでアップした山口県光市普賢禅寺を創建していた。
この仁王様のいる大門は、当山の国宝3伽藍の一つである。両サイドには大きな草鞋が釣ってあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/39/22ed19813dccb45e65723f262c26178d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/37/aaf3ae56852ef9233a5e6ce0f4f8cfe7.jpg)
中で頑張っている阿吽の仁王は、大門よりも歴史が古く、かの湛慶作と伝える。奈良東大寺の仁王様と似ていないこともない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/89/454aa1b4105a5c552708d9937f1c782d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/f5/41a661c35635d802c008e774c45ef941.jpg)
境内の俯瞰図で見ると、歴代紀州公の廟が斜面に散在しています。8代将軍吉宗公は紀州藩主だったが、江戸に出たので、彼の廟だけは、東京にあります。
此処の御廟の石碑は、字が書いてありません。のっぺらぼうの石碑だけが立っています。その訳は諸説紛々、推測の域を出ないので、一度考えてみてください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/61/fb4979b05dc6799f7a5105597a724aa9.jpg)
祭祀のとき名は賑わうのでしょうが、普段は、話相手になってくれて、気持ちが癒される女性が世話をしている茶店が一軒。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/94/2362f9c52fc99f06b74339f43862d6b2.jpg)