前回までのブログで、国立大学への基盤的な運営費交付金の削減が続く中で、このままでは、特に地方国立大学の研究や教育の機能がどんどんと低下していくので、平成24年度の「国立大学改革推進補助金」138億円を、各大学とも、思い切った構造改革の提案をして、何とかして取りにいくべきであるというお話をしました。
それに対して、ツイッター上で、何人かの方々から大学の現場の声をお聞かせいただきました。
「研究の中核を引っ張るべき世代の時間が大学改革、外部資金獲得の対応に追われて枯渇。優秀な人材のもてる時間は有限。でも研究に使われず。」
「一律削減の愚」
「現場の熱意アイデアは重要でも所帯の小さい大学は体力が持たないでしょうね。」
「改革疲れって知らんのか」
「事業の方向性が見えにくく、だんだん疑心暗鬼になってきている。」
などのご意見は、ほんとうにその通りだと思います。これらの意見に対する私の考えは、前回のブログで書きましたね。要するに、今までは運営費交付金の削減によって(教員数×研究時間)が減って、国立大学の研究機能が低下し、国際競争力が失われているのであるから、今回の138億円では、特に若手研究者の数と研究時間の確保が可能となるような思い切った構造改革の提案をするべきであるという主張です。
ただし、138億円については政府内のタスクフォースで検討されているとのことですが、タスクフォースの皆さんに、このような趣旨を十分にご理解いただいていないと、今までと同じように(教員数×研究時間)がさらに減少して、国立大学の研究機能がいっそう低下し、それが日本全体の競争力をいっそう失わせることになりかねません。
ブログでも書かせていただきましたが、138億円で各大学に構造改革を求めるのであれば、その数値目標を明確化して、138億円による構造改革の効果を検証するべきであると思います。
質の高い論文数がどれだけ増えたか?
地域企業との共同研究数や特許件数がどれだけ増えたか?
留学生がどれだけ増えたか?
・・・・・・
など、いくつかの指標があると思いますが、
(教員数×研究時間)がどれだけ増えたか?
という指標もぜひ入れて欲しいですね。(教員数×研究時間)を確保しないことには、質の高い論文は産生できません。注目度(質)の高い論文は、より多くの人手とより長い研究時間が必要なことは、文科省の科学技術政策研究所のデータでも示されています。
一見すばらしい構造改革案に見えても、(教員数×研究時間)の確保がきちんと押さえられていないと、今までと同じように「改革疲れ」になってしまって、論文数が減少し、逆に日本全体の国際競争力が低下する可能性が高いと思います。
もし、今回の138億円が大学の構造改革のイニシャルコストだけしか補助しないということであるならば、(教員数×研究時間)の確保という観点からは、従来の多くの研究資金と同様に、大きな課題を投げかけることになります。
今回の補助金でせっかく若手研究者の数を増やしても、補助金が無くなったら、いっせいに解雇する、というようなことになれば、元の木阿弥ですね。今までも、この手の補助金はたくさんありました。というよりも、残念ながらこれが一般的な補助金のやり方ですね。将来お金を稼ぐことのできるような構造改革ができれば話は別ですが、以前の知財本部事業でも、補助金が切られた時に、知財収入だけで組織を維持することができた大学はほとんどなかったのではないかと思います。
さて、この138億円で教員を雇用することができないとなると、いったいどうなるのでしょうか?
ある中堅の地方国立大学(5学部、附属病院あり)に、今後2年間の人件費削減計画を教えていただきました。
それによると、H24、25年の2年間で教員数を26人、事務職員11人を削減するとのことです。平成17年の人件費を基準にして毎年1%を削減していくということで、今回、東日本大震災の財源確保のために民主党政権から国立大学法人にも要請されている国家公務員給与カットとは別に行うとのことです。(国立大学教職員は国家公務員ではありませんが、政府から国家公務員に準拠するように要請されています。)
教員人件費だけをとってみると、金額ベースでは年約6千万円の削減で、H17年度に比較して、25年度には▲11.2%になるとのことです。仮に10年間で計算すると13%の教員数の削減です。基盤的運営費交付金の削減が継続される可能性は極めて高く、今後もこのペースで教員数が減っていくと考えられます。
話を簡単にするために10年間で10%教員数が削減されると仮定し、その場合に(教員数×研究時間)はいったいどのくらい減少するか計算してみましょう。
教員数が減っても、教育の負担は減りません。したがって、10%教員数が減少すれば、その分残された教員の教育の負担が増えることになり、(教員数×研究時間)の減少は、10%よりも大きくなるはずです。
どのくらい教育の負担が増えるのか、という点については、その大学の教育時間:研究時間の比率によっても左右されます。
まず、教育時間:研究時間=5:5の大学を考えてみます。これは、一般の地方国立大学がモデルを想定しているつもりですが、実際には教育時間の比率は20~30%、研究時間の比率は30~50%と幅があり、また、運営や社会貢献の時間もあります。ここでは、単純化のために教育時間:研究時間=5:5とさせていただきます。
教員数100人、一人あたりの教育時間+研究時時間=10時間、教育時間:研究時間=5:5とすると、教育・研究活動の(人・時間)は
(教員数×教育・研究時間)=100人×10時間=1000人・時間
(教員数×教育時間)=100人×5時間=500人・時間
(教員数×研究時間)=100人×5時間=500人・時間
となります。
教員数が10%削減されて90人になった場合、教育の負担は変わらずに500人・時間のままなので
(教員数×教育・研究時間)=90人×10時間=900人・時間
(教員数×教育時間)=90人×5.556時間=500人・時間
(教員数×研究時間)=90人×4.444時間=400人・時間
となって、(教員数×研究時間)は実に20%も減少します。
次に、教育時間:研究時間=1:9の大学を考えてみます。これは、旧帝大の中の附置研究所や大学院大学等の研究中心大学のモデルを想定していますが、実際は、教育時間の比率はこれよりも高いものと思われます。
教員数100人、一人あたりの教育時間+研究時時間=10時間、教育時間:研究時間=9:1とすると、教育・研究両方およびそれぞれの活動の(人・時間)は
(教員数×教育・研究時間)=100人×10時間=1000人・時間
(教員数×教育時間)=100人×1時間=100人・時間
(教員数×研究時間)=100人×9時間=900人・時間
となります。
教員数が10%削減されて90人になった場合、教育の負担は変わらずに100人・時間のままなので
(教員数×教育・研究時間)=90人×10時間=900人・時間
(教員数×教育時間)=90人×1.111時間=100人・時間
(教員数×研究時間)=90人×8.889時間=800人・時間
となって、(教員数×研究時間)は11.1%の減少にとどまります。
つまり、普段から教育負担の大きい地方国立大学では、旧帝大や大学院大学に比べて、教員数の削減は、より大きく研究機能の低下をもたらすことがわかります。
このような極めて単純化した計算により、地方国立大学では、研究の人的インフラを20%低下させたことが想定されるわけですが、実際にも、文科省科学技術政策研究所の調査(神田由美子他、DISCUSSION PAPER 80、減少する大学教員の研究時間、2011年12月)では、2002年と2008年にかけてのFTE教員数(教員数×研究時間から計算する)の減少は、上位大学の4.5%減少に対して、地方国立大学等では15~20%の減少となっており、今回の計算とよく合う結果となっています。
ただし、(教員数×研究時間)は、外部資金の獲得も影響し、特に、上位大学においては外部資金の獲得増によるFTE教員数の回復効果が大きいと思われます。
地方国立大学の研究機能(論文数)は、旧帝大等に比較して大きく低下したわけですが、以上のような計算から、それは彼らががんばらなかったのではなく、運営費交付金削減という政策のもたらした必然的な格差拡大の結果と考えられます。
このような政策をあと10年も続けたとすると(そうなる可能性が極めて高い)、特に地方国立大学では外部資金の獲得増も限界に達していることから、今後も(教員数×研究時間)が減少し続け、さらに20%以上、つまり、法人化導入時に比較して、40%以上も研究機能が低下すると考えられます。論文数のさらなる減少が目に見えるようです。
具合の悪いことに、研究時間の比率が低い大学ほど、教員数減少の影響を大きく受けますから、いったん研究時間が減少した大学では、今後は加速度的に研究機能が低下することになります。
果たして、今回の138億円が、今後想定されるこのような事態を考慮した上で、国立大学の研究機能(つまりわが国全体の研究機能)を回復する政策として考えられているのかどうか?
文科省のタスクフォースの皆さんには、ぜひとも、(教員数×研究時間)についての数値目標を考慮に入れて、各大学からの魅力ある構造改革の提案の選定にあたっていただきたいと思います。
(本ブログは豊田個人の勝手な感想であり、豊田の所属する機関の見解ではない。)
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