母親は子どもたちに、自分のことを忘れさせない。もし息子がオーストラリアに渡って便りがないならば、手紙を出す。「おまえはお母さんのことを忘れたのかい」と。すると優しい返事が来て、母親の慈愛の手紙がむだではなかったことがわかる。イエスにしてもそうである。主は「わたしを覚えなさい」と言われ、私たちは「あなたの愛を覚えます」と答える。
あなたの愛と、その愛の比類ない歴史とを覚えます。それは世の始まる前に、父なる神とともにあなたがもたれた栄光のように古いものです。おお、イエス様、私たちの保証となり、また私たちと婚約してくださったあなたの永遠の愛を覚えます。あなたの犠牲を示す愛、時の満ちるまでその犠牲を思いめぐらしていた愛を覚えます。そして、「しかり。わたしはすぐに来る」とあなたについて記されている、その時の来るのを、私たちは切実に待ち望んでいます。
おお、イエス様。ベツレヘムの飼葉おけからゲツセマネまで、聖なるご生涯の中に示されたあなたの愛を私たちは覚えます。私たちは生涯、あなたの御足の跡をたどります。あなたのすべてのみことばとすべてのみわざは愛だからです。死も飲み尽くせなかったあなたの愛、復活において輝きわたったあなたの愛を私たちは喜びます。選ばれた民がすべて安全な憩いに入り、シオンがあがめられ、エルサレムが天上の光と愛の永遠の基礎の上に据えられるまでは、決してあなたを沈黙させない燃える愛の火を私たちは覚えます。