聖ディオニジオ司教と同志殉教者
3世紀
ディオニジオは、イタリアに生まれた。250年ころ、教皇から、ガリア地方宣教のために6人の宣教師とともに派遣された。彼らの熱心な活動によって、その地方の多くの人びとがキリスト教徒となったが、ローマ総督はこのことに憤慨し、ディオニジオと他の2人を捕えて投獄した。彼らは苦しい牢獄生活ののちに斬首された。モンマルトルの「殉教者の丘」は、3人が殉教した所である。彼らを記念して建てられたサン・ドニの修道院の教会堂には多くの人びとが訪れ、巡礼の中心地となっていった。この教会堂は何度か再建され、今日まで残っている。
ディオニジオは、フランスの保護の聖人の一人とされている。
聖ヨハネ・レオナルディ司祭
1542年-1609年
ヨハネ・レオナルディは1542年、イタリアのディエチモで生まれ、薬屋で働いていた。その後、司祭になるために勉学をはじめ、1572年司祭に叙階された。彼は病院や刑務所で働く信徒のグループを作り、トリエント公会議で提唱された改革の精神を受けて、教区司祭から成る修道会を設立しようと計画した。
これに対して政治的な理由から、居住していたルッカから追放されるなど多くの反対に遭うが、1583年に、Clerks Regular of the Mother of God(神の母聖職者会 仮訳)を創立し、トスカーナにあるルッカの司教、グレゴリオ8世によって認可された。また創立の際、聖フィリポ・ネリ(5月26日)やエスコラピオス修道会の創立者である、聖ヨセフ・カラサンス(8月25日)が協力した。
1595年、修道会は、教皇クレメンス8世によって最終認可され、ヨハネはトスカーナ州のヴァッロンブローザとカンパーニャ州のモンテ・ヴェルジネの修道院改革を教皇から命じられた。
彼は伝染病患者の看護にしているとき、自らも感染し、10月9日にローマで亡くなった。1938年、教皇ピオ6世によって列聖された。