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◆あなたがたのために天にたくわえられてある望み……。

2013年10月02日 06時57分06秒 | 聖書

(コロサイ一・五)

私たちがキリストにあってもつ将来への希望は、地上における私たちの喜びの要因となり支柱となる。天国を思うことで、私たちの心には力があふれる。私たちの望み得るすべては、天国において約束されているからである。この地上で私たちはうみ疲れている。しかし、あの天国は安息の場所であり、働く者の汗が額に流れることはなく、決して疲れ果てることもない。
「安息」ということばは、天国を覚えさせる。常に私たちは戦場にあり、内には誘惑、外には敵がいる。そしてほとんど平安がない。しかし、天国で私たちは勝利を楽しむ。その時勝利の旗は高くひるがえり、剣はさやに収められ、将軍が「よくやった。良い忠実なしもべだ」と言うのを聞く。私たちは死別に次ぐ死別の悲哀を味わっている。しかし、私たちは決して死ぬことのない国へ行こうとしている。そこでは墓は全く知られていない。この地上では、私たちは罪のために不断に苦しんでいるが、あの国では、私たちは完全に聖なるものとされる。なぜなら、汚れたものは決してその国へ入ることができないからである。
天国にある畑には毒草は生じない。おお、あなたがたが永遠の流刑にされず、また、永遠にこの荒野に住むことを余儀なくされるのでもなく、まもなく約束の地カナンを受け継ごうとしているとは、なんという喜びであろうか。しかし、将来を夢見て、現在をなおざりにしているとの非難を、決して受けることのないようにしようではないか。将来が現在を聖化し、かつ最も有用なものとするようにしたい。
聖霊の働きによって、天国の希望は徳性を作る最も有力な要素となる。それは喜びに満ちた努力の泉であり、楽しい聖潔の礎石である。この希望をもつ人は、その働きも活発になる。それは主を喜ぶことがその人の力となっているからである。彼は熱烈に誘惑と戦う。そして来世の希望が敵の放つ火矢を撃退するのである。彼は現在の報いをあてにしないで働く。なぜなら、来るべき世に報いを期待しているからである。

 


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