(ピレモン二節)
私たちの家に教会があるだろうか。両親や子ども、友人はすべて、そのメンバーになっているだろうか。なお回心していない者がいるだろうか。自分自身はどうであるか、ここで考えてみよう。もし家庭の最年長者から最年少者に至るまでことごとく救われているならば、父の心は大きな喜びに躍り、母の目は聖い涙で満たされるだろう。この大いなる恵みを求め、主がそれを私たちに与えてくださるまで祈ろうではないか。
ピレモンにとっても、家の者全部が救われることが心からの願いであったに違いない。しかし、最初は、思いどおりにはならなかった。彼には悪いしもべオネシモがいた。彼は主人に不義理なことをして逃げたが、主人ピレモンの祈りはこの悪いしもべの後に追いすがって離れなかった。ついに彼は、神のみこころによりパウロの説教を聞くように導かれ、その結果深く心を刺されてピレモンの家に帰ったのである。それは忠実なしもべとしてというだけでなく、愛する兄弟、またピレモンの家の教会の一員として帰ったのであった。
今朝、回心していない人、または子どもが欠席しているか。彼らが家に帰る時には、恵みによって変えられ、家の者すべてを喜ばせるように、特別な祈りをささげようではないか。
もし私たちの家にそうした教会があるなら、私たちはそれを整え、すべての者が神の見ておられるところで行動するようにしよう。教会には普通の家庭以上のことが期待されている。家庭の礼拝は、敬虔な心からのものであり、また愛は温かくとだえないものでなければならず、外に現れる行為は、さらに聖潔な、クリスチャンらしいものでなければならない。私たちは、家の教会員の数が少ないために全体教会のリストからはずされることを恐れる必要はない。なぜなら聖霊は、この家庭の教会を覚え書きの中に記しておられるからである。私たちは一個の教会として、全世界の教会のかしらであられる主の御前に近づこうではないか。そして主の御名の栄光のために、人々の前に輝く恵みを求めようではないか。
ピレモンにとっても、家の者全部が救われることが心からの願いであったに違いない。しかし、最初は、思いどおりにはならなかった。彼には悪いしもべオネシモがいた。彼は主人に不義理なことをして逃げたが、主人ピレモンの祈りはこの悪いしもべの後に追いすがって離れなかった。ついに彼は、神のみこころによりパウロの説教を聞くように導かれ、その結果深く心を刺されてピレモンの家に帰ったのである。それは忠実なしもべとしてというだけでなく、愛する兄弟、またピレモンの家の教会の一員として帰ったのであった。
今朝、回心していない人、または子どもが欠席しているか。彼らが家に帰る時には、恵みによって変えられ、家の者すべてを喜ばせるように、特別な祈りをささげようではないか。
もし私たちの家にそうした教会があるなら、私たちはそれを整え、すべての者が神の見ておられるところで行動するようにしよう。教会には普通の家庭以上のことが期待されている。家庭の礼拝は、敬虔な心からのものであり、また愛は温かくとだえないものでなければならず、外に現れる行為は、さらに聖潔な、クリスチャンらしいものでなければならない。私たちは、家の教会員の数が少ないために全体教会のリストからはずされることを恐れる必要はない。なぜなら聖霊は、この家庭の教会を覚え書きの中に記しておられるからである。私たちは一個の教会として、全世界の教会のかしらであられる主の御前に近づこうではないか。そして主の御名の栄光のために、人々の前に輝く恵みを求めようではないか。