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◆すべてが過ぎた後で

2012年04月12日 06時44分38秒 | 聖書

つむじ風が過ぎ去るとき、悪者はいなくなるが、
正しい者は永遠の礎である。    (箴言一〇25)

あらしは、すべてのしっかりしていないものを吹き倒します。プレハブの建物が、軒並みに倒されたことがありました。プレハブがだめだというのではなく、その屋根の部分と本体とをつなぐねじが締めていなかったからです。直径四、五センチのナットをかなり省いてあったので、屋根が飛んでしまいました。手抜きは、ほんのちょっとしたことで、きちんとやっても、そんなに手間がかかりません。しかし結果は重大になりました。人生でも、同じことではないでしょうか。神のさばきが過ぎ去った時、すべてのいい加減な手抜きの人生・ごまかし人生は吹き飛んで、跡形もなく滅びます。
世の終わりに神はさばきを行うと、聖書は言います。このままこの世が、うやむやにいくはずがありません。神の存在がはっきり目に見える時が来ます。その時、神の手が見え、神のわざがはっきりします。今まで神を無視してきた人たちは、耐えられません。
神を無視することはだれでもやっていることです。ボルト一本の締め忘れやナット一つの欠損にさえ比べられるくらい、簡単な小さなことに見えます。みんなが無視し、みんなが知らん顔です。しかし、結果は恐ろしいのです。
聖書で悪者というのは、殺人犯や強盗や詐欺師のことではありません。実は、一番根本的なこと、つまり神を認めないそのことを指しています。しかし、神はそんな悪者を憎んではおられません。愛して、何とか救おう、恵もうと待ち構えていらっしゃいます。神に立ち返り、つむじ風が吹いても吹っ飛ばない重量感のある人生を築きたいものです。
「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(Ⅱコリント六2)。

 


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