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◆ここまで主が私たちを助けてくださった。

2017年12月29日 07時20分00秒 | 聖書
(Ⅰサムエル七・一二)
「ここまで」とのことばは、過去のすべてを指すように思われる。二十年あるいは七十年の間、それぞれ「ここまで主が私たちを助けてくださった」のである。貧しい時、富める時、病気の時、健康の時、国内で、外国で、陸上、または海上において、名誉の時、不名誉の時、当惑の時、喜びの時、試練の時、勝利の時、祈りの時、誘惑の時において「ここまで主が私たちを助けてくださった」のである。
並木道の端から端までの長い景色をながめるのは楽しい。それは、枝の柱、葉のアーチでできた緑の宮である。あなたも過去の長い年月を振り返り、その頭上をおおうあわれみの緑の大枝、あなたの喜びを支えるいつくしみと誠実の強い幹を見よ。かなたの枝には多くの小鳥がいて、みな「ここまで」受けたあわれみについて歌っているに相違ない。
しかし、このことばはまた前方をも指し示している。なぜなら人がある目標まで来て、「ここまで」と書く時、まだ終点まで来ているのではなく、なお進むべき道のりをもっているからである。なお多くの試練と喜び、誘惑と勝利、祈りと応答、労苦と支え、戦いと凱歌を経験してから、病気、老衰、そして死が訪れる。
それで終わりであろうか。否、まだ先がある。イエスに似た者になって目を覚まし、御座に着き、たてごとをとり、賛美し、白い衣をまとい、イエスの御顔を拝し、聖徒と交わり、神の栄光を受け、永遠の満たしを与えられ、無限の祝福にあずかる。
おお、信者よ。勇気を出せ。そして感謝に満たされ、確信をもって「エベン・エゼル」と呼べ。なぜなら、
 これまであなたを助けられた方は
 あなたが旅を終えるまで伴ってくださる
からである。
天国の光に照らして見る時、あなたの「ここまで」はなんと輝かしく、またなんと驚くべき前途の眺望を、あなたの感謝に満ちた目の前に展開することであろう。
 

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