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◆燈油……。

2011年08月28日 08時58分29秒 | 聖書
(出エジプト二五・六)

私のたましいよ。どんなにかおまえはこの燈油を必要としていることであろう。なぜなら、これがなくては、おまえのともしびが長く燃え続けることは不可能だからである。もし光が失われたり、油が切れたりすれば、おまえのともしびの芯はくすぶり、わざわいとなるであろう。おまえは自分の中にはわき上がる油の源泉をもっていない。だから、行って油を求めなければならない。そうでなければ、おまえは愚かな娘たちのように「私たちのともしびは消えそうです」と叫ばなければならないであろう。どれほどきよめられたともしびであろうと、油がなければ輝くことはできない。幕屋の中のともしびにも油が必要であり、たとえ風が吹かなくても芯を切っておく必要がある。たましいよ。おまえの場合も同様である。どれほど幸福であろうとも、新しい恵みの油の供給を受けていなければ、長く燃え続けることはできない。
すべての油が主の用に立つわけではない。地中から豊富にわき出る石油、魚から取った魚油、くるみ類から取った油などは適さない。ただ一種類の油だけが主の用に立つことができる。それは最上のオリーブ油である。生来の徳性から来る偽りの恵み、宗教家の手より授けられた想像上の恵み、外見上の儀式から来る仮想の恵み、これらは決して真の神の聖徒の力とはならない。彼は主がこのような油を喜ばれないことを知っている。ゲツセマネのオリーブ油をしぼる場所に行き、そこで押しつぶされた主からの油の供給を受ける。
福音の恵みの油は純粋であり、にごりがない。したがってその光は鮮明である。私たちの教会は救い主の金の燭台である。それらがこの暗黒の世を照らす光になろうとすれば、多量の聖い油を受けなければならない。私たち自身のために、私たちの牧師のために、そして教会のために、光の油が不足しないように祈ろうではないか。真理、聖潔、知識、愛、これらはすべて聖なるともしびから生ずる光である。しかし、私たちが個人的に神から油を受けていないならば、それらの光を輝かすことはできない。


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