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◆若い獅子のようだが

2016年08月03日 07時02分02秒 | 聖書

王の恐ろしさは若い獅子がうなるようだ。
彼を怒らせる者は自分のいのちを失う。(箴言二〇2)
 
切り捨てご免の東洋の王のことを述べているようです。けれども、箴言中の同じようなことばと比べてみると、これは、理想的な王である救世主メシヤのことを述べていると分かります(箴言一九12)。箴言の作者といわれるソロモンは「主を恐れるなら、いのちに至る。満ち足りて住み、わざわいに会わない」(一九23)、「王の憤りは死の使者」(一六14)、「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」(伝道者一二13)と言いました。王の王なる神に逆らって、人間に何の勝ち目もありません。しかし、この神を恐れ、神に従い、露のようにおりる神の愛と恵みに生きる時、いのちと満足と安全とがあるのです。
預言者ホセアは、「神の恵みは露のよう。ごらん、露のおかげで、ゆりの花は咲き、ポプラはすくすくと若枝を伸ばし、オリーブの木は美しくレバノンの森はかぐわしい」(ホセア一四5―6参照)と、美しいことばで表現しました。この神を恐ろしい死の宣告者、最後の審判官としてではなく、朝、草の上にしっとりおりる露のように恵んでくださり、こんな自分を愛してくださるお方として知っている多くの人々がいます。その人々は、病気をしたり試練に会いながらも、ユリのように花咲いているのです。目をつぶると、私の知っているそんな一人一人の姿が浮かんでくるようです。
パウロは、「神を味方にするなら、だれも私に敵対できない。そのひとり子イエス・キリストのいのちまで、惜しげもなく与えてくださった神は、すべてのよいものを与えてくださる。私は、私を愛してくださるお方によって、勝ち得て余りある者となった」(ローマ八31―32参照)と言いました。露のように恵みを与えてくださる神を、あなたも試してみていただきたいのです。
 
 

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