(詩篇三〇・五)
主にある友よ。もしあなたが試練の夜にあるならば、夜明けのことを考えよ。主が来られることを思い、あなたの心を奮起させよ。忍耐強くあれ。「見よ、彼が、雲に乗って来られる」からである。忍耐せよ。農夫である主は刈り入れの時を待っておられる。忍耐せよ。あなたは「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る」と言われたのがだれであるかを知っているからだ。もしあなたが、現在ほど不幸な境遇に置かれたことはないとしても、次のことばを覚えよ。
「太陽があと幾たびか出、また没するなら、あなたは美しいカナンの岸に着くだろう。」
あなたが現在、困難のいばらの冠をいただいているとも、遠からず星のように輝く冠をいただく。あなたの手は心配でいっぱいかもしれない。しかしやがて、その手で、天上にあってたてごとを奏でる。あなたの衣は、今はちりにまみれているかもしれない。しかしそのうちにそれは純白になるのだ。しばらく待て、私たちが困難や試練を後ろに顧みる時、それはなんと小さく見えることか。ところが前途に見る時、それは測り知れないほど大きく見える。しかし天国に行けば、
私たちは喜びにあふれつつ
足もとの勤労を追憶する
その時、私たちの試練は、わずかの間の苦しみであったことがわかる。いかに夜が暗くても必ず朝が来る。それは、地獄の暗やみに閉じ込められている者には想像も及ばぬ、すばらしい朝である。あなたは、将来に生き、希望に生き、天国を期待しつつ暮らすことがどのようなものであるかを知っているか。このような確実で慰めに満ちた希望をもつ信徒は幸いである。
今はまっ暗であるかもしれない。しかしまもなく光が来る。今は試練のみであるかもしれない。しかしすぐ身に余る幸福がおし寄せてくる。「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある」なら、今受けるしばらくの軽い患難は何ほどのことがあろう。