聖シスト2世教皇と同志殉教者
3世紀
シスト2世教皇(在位257~258)は、前教皇ステファヌス1世(在位254~257)とカルタゴ(アフリカ)の司教チプリアヌス(在職 249~258)との間に生じた洗礼に関する論争によって、ローマと他の教会との分裂を修復しようと努力した。しかし、彼が教皇になったのは、バレリアヌス皇帝によるキリスト教迫害の時代だった。8月6日、カリストのカタコンベ(地下墓地)で典礼儀式の説教中に、助祭のヤヌワリオ、マニュス、ビンセンシオ、ステファノと共に捕らえられ、斬首された。他の2人も捕らえられ、隣の墓地で処刑され、ラウレンシオ助祭は拷問を受け、4日後に殺された。
そのすぐ後、9月14日に斬首された聖チプリアノは、彼らの殉教に力を得て、アフリカのキリスト教徒を励まして、こう語っている。「死よりも不滅の生命のことを考えよう。信仰と勇気をもって神に身を捧げたのだから。証しをたてるときは、恐れるよりも喜ぶように。私たちは殺されるのではなく、栄光の冠を受けると知っているのだから」と。
聖カエタノ司祭
1480年-1547年
カエタノは、イタリアのヴィチェンツァに生まれ、信仰深い家庭で育った。法律を学んだ後、36歳のときに司祭となった。オラトリオ神愛会の一員として教会の内部改革に貢献し、福祉活動に励み、またヴェネチアに病院を設立した。1523年にローマに行ったカエタノは、キエティの司祭カラッファ(のちの教皇パウロ4世)とともに、貧しい人びとへの奉仕と救いを目的とする修道会を創立した。この会は土地の名前から「テアティノ会」と呼ばれた。しかし、カエタノは 1527年にローマから追われ、ヴェネチアとナポリで活動した。