聖カタリナ(アレキサンドリア)おとめ殉教者
?-309年
カタリナは、エジプトのアレキサンドリアの貴族の家に生まれ、早くから学問を修め、才能に恵まれていた。あるとき彼女は、ひとりの隠修士からキリストの教えを聞き、洗礼を受けた。18歳のとき、ローマ皇帝マキシミヌスは、市民たちに偶像崇拝を命じ、従わない者は処罰することを公布した。カタリナは、公に信仰を表わしたので、皇帝は50人の学者を集め、彼女を屈服させようとした。しかし、学者たちは彼女に感化されて、キリスト教こそ真の宗教であると公言し、改宗した。憤慨した皇帝は、学者全員を処刑したが、カタリナに対しては、その学識の豊かさと美しさに心をひかれていたので、彼女が信仰を捨てれば、皇后にするとまで言った。しかし、彼女が拒否したので、皇帝は怒り、彼女を車輪に縛りつけて身を引き裂くという刑を執行するよう命じた。それでも彼女が命を落とさなかったため、最後は、斬首された。
彼女の遺体は、天使によってシナイ山に運ばれたと伝えられている。
カタリナを敬う習慣は、8世紀ごろに東方教会から西方教会に伝わり、10世紀にはイタリアを中心に広まった。釘を打った車輪と、イエス・キリストとの婚約指輪、剣などを持った姿で描かれている。
若い女性、学者、弁護士などの守護の聖人とされている。