座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆人を潤す者は自分も潤される。

2016年08月21日 08時18分26秒 | 聖書
(箴言一一・二五)
 
私たちはここにおいて大きな教訓を与えられる。すなわち、得るためには与えなければならず、蓄えるためには、まず散らさなければならない、ということである。幸福を願うならば、まず他人を幸福にしなければならない。霊的に盛んになるためには、他人の霊的向上を計らなければならない。人を潤すことによって、自分自身も潤される。どのようにしてであろうか。
他人の益になろうとする努力が、私たちを有用にする力を導き出す。私たちは、潜在的な才能と眠っている能力をもっている。それは働かせることによって発揮される。私たちの活動力は、私たち自身にも隠されており、主の戦いを戦い、険しい山をよじ登るまでは、自分にその力があることに気づかない。やもめの涙をぬぐい、両親のない子どもの悲しみを慰める時、初めて自分のうちに優しい同情の心があるのに気づく。
私たちは他の人を教えようとして、しばしば自分自身に対する教訓を得る。ああ、ある人々は病床においてなんという恵みの学課を学んだことであろう。私たちは聖書を教えようとして出て行き、かえって自分の知るところの浅いことを発見し、赤面して帰る。貧しい聖徒と話し合って、私たちに対する神の道をさらに完全に教えられ、神の真理に対するさらに深い洞察力を与えられる。
人を潤すことで私たちは謙遜になる。今まで気づかなかった恵みがいかに多いかを見いだし、貧しい聖徒がいかに知識において私たちにまさるかを発見する。
他の人のために働くことによって、自分自身の慰めもまた大きくなる。私たちは他の人を励ますために力を尽くす。その慰めは私たち自身の心を喜ばす。それはちょうど雪の中に二人の男がいて、一人が、死に瀕しているもう一人の男の手足をこすることで、自分の血液の循環がよくなって助かった物語のようである。
ツァレファテの貧しいやもめは、乏しい食物を分けて預言者を助けたが、それから後、乏しさを経験しなかった。だから、与えよ。そうすれば、あふれるまでにして返されるであろう。
 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。