このすべての精巧さに加え、有用性と耐久性がある。これは、私たちにじゅごんの皮のはきものをはかせることに比較できる。じゅごんの皮は幕屋をおおうものであり、最も美しく最も丈夫な皮であった。信仰によって神より与えられる義は、とこしえに続く。そして、この神の作品をはいている者は砂漠を安全に旅することができる。獅子とコブラを踏むことすらできる。
私たちの聖なる衣服の潔白と威厳は、亜麻布に表されている。主がその民をきよめられるとき、彼らは祭司のように純白の衣を着る。その白さは雪も及ばない。それらは、人と天使の目に美しいものであり、主の御目にすら一点のしみもないものである。しかしまた、王より賜った衣は、亜麻布のように優雅であり、高価なものである。それはどんな費用も惜しむことなく、善と美とを尽くしたものである。
ではどうなのか。それに対して何の感想もないと言うのか。たしかに、感謝の念を抱き、喜びを表すべきである。私の心よ。おまえの夕べの賛美をやめてはならない。おまえの笛の調子を整えよ。そしておまえの琴をかき鳴らせ!
たましいよ。おまえは不思議な衣を着ている
これぞ、偉大な聖い三一の衣である
たましいよ。妙なる賛美の調べのうちに
おまえのすべての力を和合させよ