座間コミニティー

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◆……たちどころにいやされた。

2014年02月14日 16時02分51秒 | 聖書

(ルカ八・四七)

今夜、最も教訓に富み、深い感動を与える救い主の奇蹟の一つを見る。この婦人は非常に無知であった。彼女は惜しみなく与えてくださるイエスのご性質について全く知らなかった。もし知っているならば、イエスがいつでも与えてくださるいやしを盗もうとして、後ろから忍び寄るようなことはしなかったであろう。彼女がもしイエスの心にある愛を知っていたならば、「私は、主が目に留めてくださる場所に出るだけで十分です。主は全知であられ、どのようにして私をいやすかを知り、その愛は私をただちにいやしてくださいます」と言ったことであろう。
私たちは彼女の信仰を賞賛するが、彼女の無知には驚く。彼女はいやされてから、喜び震えた。神の力が驚くべきいやしをもたらしたのを喜んだが、キリストがその祝福を撤回し、恵みを注ぐのを拒まれはしないかと恐れた。キリストの愛の満たしを、彼女はほとんど理解していなかった。私たちは主の愛の高さ深さを十分に知ってはいない。しかし次のことを確実に知っている。キリストは震えるたましいから、そのたましいが得た賜物を取り去るようなことはなさらない、と。
ところが注目すべきことは、知識においてはなきに等しかったが、彼女の信仰は真のものであったゆえに、彼女をただちに救ったことである。そこに遅延はいささかもなく、信仰による奇蹟は即時的であった。もし私たちに一粒のからし種ほどの信仰があれば、救いは私たちの現在の、また永遠の所有となる。私たちが主の名簿の中で、家族のうち最も弱い者として登録されていても、信仰によって相続人とされるため、どのような力も、人の力も、悪魔の力も、私たちを救いから追い出すことはできない。シメオンのように主を抱くことがなくても、ヨハネのように主の胸によりかかることができなくても、後ろからでも主の着物のふさにさわることができるなら、私たちは全き者とされる。
臆する者よ。勇気を出せ。あなたの信仰があなたを直した。安んじて行け。

 


強行軍

2014年02月14日 10時07分46秒 | 日記

雪が積もる前にと図書館まで完全防備で自転車で行ってきました。

行き帰りにディサービスの車や幼稚園の車に会いました、帰りに珠さんの家に行き様子を見に行き玄関を出るとヘルパーさんが15分早めに来てくれました。

福祉関係の人は、どんな天候でも仕事を休めない大切な存在なのですね。

感謝


◆それを無視せよ

2014年02月14日 08時34分40秒 | 聖書

悪者どもの道にはいるな。
悪人たちの道を歩むな。
それを無視せよ。そこを通るな。
それを避けて通れ。      (箴言四14―15)

「はいるな」「歩むな」「無視せよ」「通るな」「避けて通れ」。はっきりした断固たるアドバイスのことばです。
私たちには、うらやみの精神・助平根性・火遊び精神があるのではないでしょうか。悪者がけっこう堂々とやっている、不正を行っていい思いをしていると思うと、「ちぇっ、いいことしてやがる。おれもちょっとぐらいはやってやろうか。ま、ほんの少しだったら大丈夫だろう」という根性です。それで、悪の道にちょっかいを出してみます。
ユダヤ人でエジプト人の家に奴隷として売られたヨセフはまめまめしく働き、目から鼻に抜けるように利口だったので、とうとうお金持ちで身分の高いご主人の家のすべてを任せられました。何でも自由にできる立場になりました。
ところが、ご主人の奥方がこのヨセフを誘惑して「寝よう」とさそったのです。「据え膳食わぬは男の恥」などということばがあります。多くの人はチャンスだと思ったかもしれません。しかしヨセフは、そのさそいを無視し、つかまれた衣を脱いでまでして、ふりきって逃げたのです。
その女主人の手に残った着物が証拠物件となり、彼は「不義密通」の汚名を着せられて牢屋に投げこまれました。しかし、人は何と言おうと神は知っていらっしゃいました。牢屋がより高いより輝かしい人生の糸口となり、エジプトの総理大臣となったヨセフはユダヤ人全部を救うようになりました。
悪や不正をうらやむな。ヘイコラするな。悪の道を無視せよ。避けて通れ。神の愛ときよさの中に逃げこめ。

 


◆彼の生活費は、その一生の間、

2014年02月14日 08時33分47秒 | 聖書

日々の分をいつも王から支給されていた。(Ⅱ列王二五・三〇)

エホヤキンは王宮を出る時、生活費を日払いにされることに決められて退出した。これはすべての主の民の幸福な状態を描いている。
実際に必要なものは、その日その日の分である。私たちは明日の分を必要としない。明日の分は明日の朝が来ない限り必要ではないからだ。六月にのどが渇くのを二月に満たす必要はない。二月には渇きを覚えないからである。もし私たちが日ごとの必要に欠けることがないなら、何の不足もないはずである。
一日に足りる分が、私たちが実際に用いる全部である。衣食にも、一日分より多く用いることはできない。余分があると、蓄える手間と盗人の番をする心配が伴う。一本の杖は旅人を助けるが、何本もかかえていくのは苦労である。ご馳走も満足するまでがよいのであって、どんな大食漢もそれ以上食べるとかえってまずくなる。これが私たちの期待すべきすべてである。これ以上欲ばるのは恩知らずである。私たちの天の父がそれ以上与えられない時、私たちは一日の分をもって満足していなければならない。エホヤキンとは私たちのことである。私たちは確実な分け前を受ける。それは王から賜るものであり、恵み深い賜物であり、また継続して賜るものである。ここに感謝しなければならない確実な基礎がある。
愛する主にある友よ。恵みはその日その日に必要なものである。あなたは力を余分に蓄えておくには及ばない。あなたは日ごとに上よりの助けを求めなければならないのである。日々の分があなたのために準備されているということは、なんと安心なことだろう。あなたは伝道において、黙想において、祈りにおいて、また主を待つことにおいて、いつも新しい力を受けるのである。あなたに必要なものはすべてイエスの中に備えられている。だから、それを絶えず主からいただくようにしよう。日ごとの恵みのパンが、あわれみの食卓に並べられているのに、空腹をかかえて過ごすようなことをしてはならない。

 


第1サムエル記2章27-36節

2014年02月14日 08時32分17秒 | 聖書

2:29 「なぜ、あなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住む所で軽くあしらい、またあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうち最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。」


 祭司エリの二人の息子達の不法な行為に対する怒りは、彼らの父親であるエリにも告げられました。

それはエリが、祭司である前にまず彼らの父親として、彼らを教えて訓練する必要があった人物であったからです。

 ここで主は、「わたしが命じたわたしへのいけにえやささげもの」と語っています。

そこではこの犠牲の捧げ物をする時に、主が命じていた命令がすでに以前からあったことを告げています。 

従ってそのことを知りながら、それを守らないということは、主を軽んじたことであると告げているのです。

主にあって生き、また奉仕をする者は、まず主の戒めを重んじて生きることが求められていると告げています。

エリは、民に言われてから注意はしたけれども、それ以前に、彼らを教えなかったことは、父としての彼の落ち度であると言われたのです。



マタイによる福音書19章16-17節 (ヨブ記21章)

2014年02月14日 08時30分00秒 | 聖書

★  すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」

■O:今日のコラム

以前に金の精錬方法について聞いた事があります。金は炉の中に入れられ様々な不純物が取り除けられます。しかし、金が純金となる為に最終的に取り除けられるのは金の中に含まれている銀の成分なんだそうです。銀は価値のあるものですが、その価値あるものが純潔な金としての価値を鈍らせてしまう事になるのです。
 
今日の箇所で主イエスの元に来た青年は「どんな良いことをしたら永遠の命に入れるのですか」と質問をします。「良いこと」と言うものは、立派で価値のあるものですが、その価値のあるものが重要な御国の真理を曇らせ、見えなくさせてしまいます。

だから、主イエスはここで「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。」と言われ、本当に重要な真理へと視点を変えます。

そうです。御国は「良いこと」をする事を通して得られるのでは無く、「良い方」である主を求める者に与えられるのです。なぜなら主御自身が命の源なるお方であり、御国の中心であられるからです。この方を熱烈に追い求め続けましょう。

さらに主イエスは、「もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」と言われています。主を愛するとは熱烈な感情を主に捧げると同時に、具体的に御言葉に従って歩む事です。

主と愛の関係の中で聖霊様の力を受けて生きる時に、私達は主の恵みと助けを得て、人間的な基準や宗教的な行いを遥かに超えて主の御心を成して生きる事が出来るのです。絶えず主イエスを求め続けて歩みましょう。

「あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」(ヨハネによる福音書14章14-15節)

■A:考えてみよう

私達の生活の中で、主の臨在を妨げるものがあるなら、例えそれがどんな良いものに思えても、取り除ける決心をしましょう。

■P:祈り

主よ。何よりも良いお方であられるあなた御自身を求め続けます。あなたの臨在を最も価値あるものとして尊びます。主の御心を成して生きる事が出来る様に導いて下さい。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。