座間コミニティー

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◆あなたは私を大いに喜ばせ、

2014年02月01日 16時20分23秒 | 聖書

あなたの私への愛は、女の愛にもまさって、すばらしかった。(Ⅱサムエル一・二六)

愛する友よ。私たち一人一人は、ヨナタンの愛ではなく、イエスのすばらしい愛を語ろうではないか。人から伝え聞いたことではなく、キリストの愛について自分が味わったこと、経験したことを語ろう。
イエス様、私がまだあなたから遠く離れてさまよい、肉と心の欲を満たしていた時、あなたの私に対する愛は、何ものにもまさってすばらしいものでした。私が死に至る罪を犯すのをとどめ、私を滅びから守られました。あなたの正義が「これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか」と言った時、あなたの愛はその「斧」をとどめてくださいました。あなたの愛は私を荒野に導き、私の衣をはぎ取り、私の罪と咎を自覚させました。私があわてふためいていた時、あなたの愛は「わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と、慰めのことばをかけてくださいました。
ああ、瞬時に罪を洗い去り、私の汚れたたましいを、吹き積もる雪のように白く、きれいな羊毛のように純潔にされたあなたの愛は、なんとすばらしいものであったでしょう。あなたが私の耳もとで「わたしはあなたのもの、あなたはわたしのもの」とささやかれた時、どんなにあなたは愛を示されたことでしょう。あなたが「父ご自身があなたを愛しておいでになる」と言われた時、その御声は優しい声でした。私に「御霊の愛」を語られた時、それは実にすばらしい瞬間でした。あなたがご自身を啓示された時の、あなたとの交わりの部屋を私は決して忘れません。
モーセは岩の裂け目にあって、神の後ろ姿を見たのではないか。私たちにもまた岩の裂け目がある。そこにおいて、キリストのうちに全き輝きを見た。ダビデは、山羊の通った道を思い出し、またヨルダンとヘルモンの地を思い出したではないか。私たちにも、これらの祝福された場所に劣らないなつかしい所がある。
尊い主イエス様。あなたの驚くばかりの愛の新しい飲み物を私に与え、この月を始めさせてください。

 


◆心地よい眠り

2014年02月01日 10時09分06秒 | 聖書

こうして、あなたは安らかに自分の道を歩み、
あなたの足はつまずかない。
あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。
休むとき、眠りは、ここちよい。(箴言三23―24)

健康の証拠は、「快眠・快食・快便」といいます。あなたは、「快眠」していらっしゃいますか。
だれにも「眠られぬ夜」はあると思います。人さまざまの眠り方もあるようです。ネズミは一日に七百回も眠り、一回の眠りは約四十秒とのことです。まさかこんな人はいないでしょうが、私は昔中国を旅行した時、立っていても歩きながらでも眠ったことがありました。
心地よい眠りとは、一日の終わりにもう目も開けていられないほど心地よく疲れて自然と眠りにつき、朝起きると昨日の疲れはどこへやらのさわやかさ! こんな眠りのことでしょう。
ところが、いわゆる不眠症の人が多くいます。眠りは神の贈り物だと思います。柔らかいベッドはお金を出せば買えますが、眠りは買えません。眠れない原因は、千差万別、さまざまの理由があるでしょう。
けれども平安な心地よい眠りは、神の御手の中にあると感じるのです。第一に、神を否定し神の贈り物を拒絶した心には、イライラや不平不満がはびこって、平安な眠りは望めません。第二に、神のみこころを大切にし、これに従ったという心のやすらぎは、快い眠りにつながります。
今も病床で眠れない方もありましょう。この機会に、昼は聖書をたくさん読み、夜目がさめているなら、聖書のことばをあれこれと考えて、あるいは研究してみてごらんなさい。人生の一大転機となるかもしれません。

 


◆彼らは主の道について歌うでしょう。

2014年02月01日 10時08分05秒 | 聖書

(詩篇一三八・五)

クリスチャンが主の道について歌い始めるのは、彼らが初めて十字架の下で重荷を降ろした時である。罪を赦された神の子のたましいからほとばしり出る最初の歌は、神の使いたちの歌も及ばないほどに喜ばしいものである。あなたは、ジョン・バニヤンがそれについてどのように書いているか知っているだろう。バニヤンは、罪に悩む巡礼が十字架の下で重荷を降ろした時、三度躍り上がって、次のような喜びの歌を口ずさみながら出かけたと言っている。
 ほむべきかな十字架、ほむべきかな墓よ
 否、まことにほむべき方は
 私たちのために辱しめを受けたその人です
主にある友よ。あなたの足かせが地に落ちた時を記憶しているか。イエスがあなたに会われて、「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。あなたが犯したすべてのそむきの罪は覚えられることはない」と言われた場所を記憶しているか。
ああ、イエスが私たちの罪の苦しみを取り除かれる時は、なんと楽しい時だろう。主が初めて私の罪を赦してくださった時には、私は喜びのあまり躍り上がった。その所から家に帰る途中、私はその救いの物語を、道端の石にまで語り聞かせたいと思った。私のたましいは喜びにあふれ、空から舞い落ちる雪のひとひらひとひらにまで、謀反人のかしらである私の罪をぬぐわれた驚くべきイエスの愛を語り聞かせたいと思った。
しかし、信仰生活の初期だけに歌があるのではない。生きる限り、主の道には歌うべき恵みが絶えない。主の絶えることのないいつくしみを経験する者は、「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある」と言うであろう。
 長い荒野の旅の間も
 新しい恵みが常にあって
 私たちはいつも新しい歌を歌う

 


ルツ記4章1-6節

2014年02月01日 10時06分36秒 | 聖書

4:5 そこで、ボアズは言った。「あなたがナオミの手からその畑を買うときには、死んだ者の名をその相続地に起こすために、死んだ者の妻であったモアブの女ルツをも買わなければなりません。」


 イスラエルの地では、土地は神様のものですので、人に所有権はありませんでした。

ただ、土地を耕すための使用権というのが割り当てられていました。

エリメレクは飢饉が起きた時に、その使用権を売って、モアブの地に移りました。

ですからその土地は、土地が返却されるヨベルの年まで、自分たちで使うことは出来ませんでした。

そのヨベルの年が来る前に、その土地を使いたいと思うなら、その土地の使用権を、今持っている人からお金を払って買い戻す事が必要でした。

しかし、ナオミにはそのようなお金はありません。

ところがボアズは、そのことをしてあげようと告げたのです。

これが買い戻すということです。

買い戻しても、ボアズ自身には何も利益もありません。

ですから、相手の人に好意を持っていなければ出来ないことでした。

彼はルツを愛していたのです。

彼はまず、優先権を持っている人物に打診をしました。


マタイによる福音書6章6節(ヨブ記8章)

2014年02月01日 10時03分56秒 | 聖書

★  あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

■O:今日のコラム

昨年11月、新宿シャローム教会で行なわれた「祈りのセミナー」は、本当に素晴らしいときでした。(ぜひCDやDVDを買って聞いてみてください!)

その中で、パク先生が、「祈る時自分の奥まった部屋に入る」というのは、必ずしも文字通りの意味じゃないよ、と言われました。

どんなに、だれも見ていない個人的な祈りの部屋に入って祈っても、そこで居眠りしてたら、あるいは、そこで祈りに集中できず、他のことをあれこれ考えているなら、それは、隠れたところで見ておられる父に祈っているのとは違うよ。

逆に、何百人、何千人の大会衆と一緒に礼拝したり祈ったりしていても、まわりの人のことをいっさい気にせず、ただただ、目に見えない神様だけに心を向けて、この方に祈るなら、それこそが、「自分の奥まった部屋に入って祈る」ことだよ、と教えてくださいました。

福音には、素晴らしい約束が凝縮されて詰まっていますが、その中のもっとも素晴らしい約束の一つは、いつでも、どこでも、キリストを通して、神様と交われる、ということです。

だれでも、いつでも、どこでも、自分勝手な歩みを方向転換して、神様の方を向き、十字架の御業を信じて、神様に近づくなら、罪が聖められて、神様が子どもとして受け入れてくださいます。

生けるまことの神、全宇宙とすべてのものの造り主、聖なる、全能なる偉大な神を「お父さん!」と呼べます。お父さんと、子どものように、親しく、親しく交わることができます。

お父さんの愛を受け、愛を感じ、愛を味わい、お父さんのすごさ、素晴らしさに驚嘆し、お父さんの偉大さ、聖さを、畏れつつ敬い、お父さんを超自慢に思い、お父さんをほめたたえ、お父さんに感謝し、お父さんを信頼します。

何でもできる、超豊かな、惜しまずに与えてくださるお父さんに、どんなことでも相談し、何でも求めることができます。

今日、自分が一人の部屋にいても、教会の大勢の兄弟姉妹とともに主を礼拝していても、ただただ父なる神だけに集中し、主を求めましょう。祈りを通して、お父さんの愛を味わい、お父さんを愛し、お父さんに求めましょう

■A:考えてみよう

たった一人でも、大群衆の中でも、ただ一人、私たちの人生すべてをかけて愛するにふさわしいお方と出会っていますか。

■P:祈り

お父さん、イエス様の十字架を心から感謝します。お父さん、今日私はあなたの御もとに行き、あなたの御声に耳を傾けます。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。