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ヨシュア記10章9-11節

2013年07月24日 11時44分30秒 | 聖書

10:11 彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。


エモリ人の王達の連合軍によって、ギブオンの人々が攻撃の矢にさらされました。

その時、ギブオンの人々は、いくら自分たちが勇士であるからといって、連合軍に勝つことはできないので、ヨシュアに助けを要請しました。

ヨシュアはそれに答えて戦いに出ましたが、主も彼に勝利の保証を与えられました。

その結果、実際の戦いの時には、主は彼らの上に雹を降らせて、敵を苦しめ死に追いやられました。

そして、その雹で殺された人の方が、戦いで殺した人よりも多かったと告げられています。

 神様はここで雹を用いて、ヨシュアを助けられました。

聖書は、神様は天と地を造られた方であると語っています。

そのことは、同時に神様は、その自然のすべてを支配しておられるお方でもあることを告げているのです。

この神様により頼むことの素晴らしさ、それを知るのです。



◆八つ当たりはよくない

2013年07月24日 11時30分41秒 | 聖書

人は自分の愚かさによってその生活を滅ぼす。
しかもその心は主に向かって激しく怒る。(箴言一九3)

愚かな者は八つ当たりをする。八つ当たりはよくない。八つ当たりは生活を滅ぼすと、聖書は言います。
お母さんが、自分の言うとおりに好きな物を買ってくれないといって、だだをこね、お勝手の冷蔵庫をなぐったりけったりし、しまいには自分の頭までぶつけていた小さな子を見ました。プロレスの頭突きのまねでもしていたのでしょう。自分の思うとおりにならないと、夫や妻や、親や兄弟や、職場の部下や同僚に八つ当たりする人は、人間として成長していない人です。白髪になっても成長がなく、幼児のように八つ当たりをする人があります。
自分のためだけに世界があると思い、何でも自分第一、自分の欲望を第一にする精神的幼児は、思うとおりにならないと怒りいらだち、責任転嫁をします。こんな八つ当たりの生き方を続けると、第一に、友を失います。第二に、恵み(愛とか喜びとか平和)とかけがえのない人生の祝福を失います。第三に、チャンスを失います。忍耐深く冷静に臨めば前よりもっとよいチャンスがつかめるのに、八つ当たりで失敗に終わります。第四に、自分で自分の生活のリズムを失い、生活が乱れます。結局、八つ当たりは、愛に満ち恵みに満ち、いつも変わらず一人一人によくしてくださる神に対する反逆、つまり罪なのです。
考えてみると、罪を犯し神を離れた人間の歴史は、責任転嫁の歴史でした。自分が悪いのに人のせいにし、神のせいにしてきました。エバは、自分の欲心のせいなのに蛇のせいにし、アダムも、自分の責任なのにエバのせいにしました。悪循環です。
神は、いつも同じです。公正で恵みに満ちています。時間をかけて自分を反省し、時間をかけて忍耐強く待ち望む時、必ず祝福が来るのです。

 


◆しっかり立って、きょう、

2013年07月24日 11時28分18秒 | 聖書

あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。

(出エジプト一四・一三)

このみことばは、窮境に陥り進退きわまった信者に与えられる神のご命令である。彼は退くことも進むこともできず、左右共に閉ざされている。どうすればよいのか。主は彼に「しっかり立って」と言われる。
このような場合、多くの怪しい忠告者がいろいろな意見をもち込んでくるであろうが、彼はただ主のみことばのみに耳を傾ければよい。失望はささやくであろう。「そこで倒れて死ね。すべてをあきらめよ」と。しかし神は、私たちが勇気を奮い起こし、最悪の事態になってもなお、神の愛と真実とを喜ぶことをお望みになる。臆病は言う。「退け。俗人の行動に戻れ。おまえはクリスチャンとして生きることはできない。あまりにも難しすぎる。おまえの道を捨てよ」と。しかし、どんなにサタンがあなたをそのような邪道に陥れようとしても、あなたが神の子であるならば、それに従うことはできない。神はあなたに向かって、力から力ヘと進むことを命じておられる。ゆえにあなたはまっすぐに前進せよ。そうすれば死も地款も、あなたをその進路からそらせることはできないであろう。
しかし、あなたはしばらく立ち止まることも命じられる。新しく力を得、時が来て、さらに大躍進を遂げるためである。性急は叫ぶ。「何かしろ。奮い立て。じっと立ち止まって待つのは怠惰だ」と。私たちは何かをしなければならないと考える。そして主を見上げることをしない。主は何かをされるというだけでなく、すべてのことをなされるお方である。自負は大言壮語する。「もしあなたの前に海があれば、飛び込んで奇蹟を待て」と。しかし信仰は、自負にも失望にも臆病にも性急にも耳を傾けず、「しっかり立って」との神の御声に耳を傾け、岩のようにゆるぎなく立つ。
「しっかり立って」――まっすぐに立ち、ただちに行動に移れるように準備し、続いて下る命令に備えよ。忍耐強く導きの声を待て。そうすればまもなく神は、モーセがイスラエル人に言ったようにはっきりと、あなたに「進んで行け」と言われるであろう。