マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

" After a long interval ! " ( ご無沙汰してすみません )

2015-07-27 18:54:35 | 旅行

 

 ( 1 )

 

 パーティで、その家の女主人と話していたら、
 " My husband is always ' mobile ' .   I seldom see him.  "   ( 私の夫は ' mobile ' だから、なかなか会えないのよ! )と言っていた。
 一瞬なんのことかわからないでいると、つまりはこうゆうことだ。
 ご主人は、会社の出張で自国のアメリカだけでなく世界中を飛び回っていて、家にいるより出張している日のほうが多いことのようだった。
 ' mobile ' ( モバイル )の意味は、動き回る、と言うことなのである。
 
 自分の今が何となくそのような状況にいる気がしてならない。
 もとより現役を引退しているから仕事で飛び回ることはない。いわば自分の意志で勝手に動き回っているだけだ。とにかく家にいることのほうが少ないのだ。
 今年に入ってから、東京に1度、大阪に2度、沖縄に2度、海外の台湾に2度、香港に1度と、ほとんど家にいる暇がないくらい出続けたのである。

 まず年初めに大阪に行った。ちょうど寒い日が続いていたころで、滞在中は終日外を動き回ったが、街を行く人たちも首をすぼめて寒そうに歩いていた。 
   京橋から歩いて大阪城を通り、森ノ宮から上本町を経て「なんばウオーク」を通り難波まで、凍てつくような寒さの中を歩いた。
 大阪城公園を歩いていたら、道端の茂みから、かすかに「ニャーオ」と言う声が聞こえた。可愛い声だったので、子猫が潜んでいるのかなあと近寄ってみると、子猫ではなく、丸々と太った泥だらけの猫が遠慮しながら出てきた。
 野良猫のようだが、恐れる風もなく、懐っこく、手を差し出すと舐めてきた。撫でてやると自分から体を転がして、腹を上にしてじゃれていた。
 「どこでご飯を食べているの?」「夜は寒くないのかなあ。こんなところに寝て大丈夫なの?」と話しかけていると、喉をグーグー鳴らして汚い体をこすりつけてきた。
 すぐに立ち去るのが忍びなくて、しばらく座り込んでネコの相手をした。
 あの猫は今どうしているかなあ、今度行ったら会えるかなあなどと、あの時のことを思い出している。
 
 家に帰るやすぐ東京に行った。
 日暮里にホテルをとっていたので、成田から便利な京成電車を利用した。ホテルの近くは、古い時代には「布の町」として栄えたところで、今でも布や皮製品の問屋がたくさんある。
 日暮里駅を反対側に少し上ると「谷中ぎんざ」がある。昔風の和菓子屋、洋食屋、雑貨店やコーヒーショップなどが雑多に軒を連ねているところだ。そんな雰囲気を求めて観光客、それに外国からやってくる観光客などで賑わっている。
 細々した道が入り組んだところで、それでも外人さんにやたら出会うのは、おそらく英語で書かれたガイドブックに紹介されているのだろう。
 朝倉文夫の家を探して、どうも見つからないので、やってきた女子中学生二人組に尋ねると、わざわざ一緒についてきてくれた。親切な人がいてありがたい。
 この辺りは、弟が学生時代に下宿をしていたところだが、すっかり変わってしまって、かつての家は無くなりどのあたりか思い出せないほどだと言っていた。
 
 森鴎外、岡倉天心、夏目漱石、幸田露伴、わが故郷の出身で、漱石の弟子、「三四郎」のモデルにもなった小宮豊隆などの旧居を訪ねた。近くに東京芸術大学もあり、かつては小宮豊隆はそこで学長をしていた。
 
 またすぐに大阪に行った。
 今度は、春の温和な天気で、外を歩くのも心地よかった。大阪駅から歩き始めて、淀屋橋、御堂筋、アメリカ村を通って難波にたどり着いた。
 数年前、成田からミネアポリスまで12時間のフライトで、所謂「エコノミークラス・シンドローム」に罹り、ミネアポリスに着いた時は、足が硬直して、しゃがみ込んでしまって一歩も動けないほどだった。
 ウイスコンシン大学の医学部の先生が、
 " It must be Spinal Stenosis.  I'll take care. " ( それは脊椎菅狭窄症ですよ。手術をしてあげましょうか )と言ってくれたが、こんなところで入院してしまうと、まるで動きが取れなくて何のためここまで来たのかと言う気がして断った。
 結局日本に帰って、同じ職場の同僚のお兄さんが、その道の権威だったこともあり診てもらったのである。
 すぐに総合病院の副院長している教え子に電話して段取りをしてくれたのである。おかげで手術後は、全く元のようではないにしても、動けるようになった。
 その後は、スポーツジムに通っているし、できるだけ歩くことにしている。

 


" I've seen black bears ! "  ( クマを見たよ! )

2014-01-23 08:58:05 | 旅行

 

(6)

 

 

 ジムは、メイン州のバクスターからトレイルに入った。
 一日目は穏やかな天気だったが、2日目から3日間を通して雨が降り続いた。もちろんフッドのついた防水着、防水パンツ、登山靴のトレッキング用装束をしていたが、周りの景色も見えない、冷たい風雨が吹きつける、道は雨でぬかるんで、時に濡れて滑る岩山をよじ登りながら、ルートに沿って時々現れる「sign post」(標識)を手探りで見つけながら歩くのは、とにかく辛かった。
 勿論こんな天気では、道端で野宿は難しいが、時々小さなシェルターが沿道にあって、そのどれかに夕暮れ時辿り着いたときに泊まることにしていた。
 シェルターと言っても、あくまで避難用の小さな小屋で、「three-walled shelter」と言って三方が壁になっていて、表の一方は何もついてなく、壁もドアもない吹きさらしだった。
  一晩中蹲ったまま朝が明けるのを待っていた。夜の帳が降りると、どう過ごしていいのわからないほどだった。本をもってきていたが、明かりがない。ひたすら吹きつける雨に身をさらしながら耐えていたのである。早く朝が訪れればいいと願いながら、立膝を両手で抱きながらじっと座っていた。
  
 歩き始めたばかりだし、一度諦めて、再度別の日に挑戦したほうがいいのではないかと、すでに音をあげて帰りたい気持ちでいっぱいになっていた。
 それでも岩場を見つけて、しゃがみ込み風雨に打たれながら休憩をしたりしながら、自分を励まし頑張ろうという気を起こすのに必死だった。
 帰ろうと思えば簡単だった。いつでも帰れる。しかしそうしたらどうなるのだろう。ますますみじめな自分がいるだけである。やはり頑張ろう。一週間もするとなんとかやれるのでは、と言う前向きな気持ちになってきたのである。
 
 天気も晴れてきた。ある時、靄でかすむ道を歩いていると、風の音でもない、動物が騒ぐ音でもない、確かに人間のカサカサという足音が近づいてきた。まさしく人間だった。
 お互いにすれ違う時に、「やあ!」と声をかけていた。
 「あとどれくらいですか?」とその人が言った。
 ジムと違っていかにも山歩きに慣れた人に見えたので、「あなたの足なら、3,4日もあれば」と答えた。彼は思わず万歳のボーズを取り、大仰にうれしさを表現した。
 「6か月かかって、ついにスルーハイクだ!」といかにも嬉しそうだった。
 「ジョージアから来たのですか?」「そうです!」 ジムも、自分のことのようにうれしい気持ちになった。
 彼と、尾根の岩場に座りながら、しばらく話をした。
 彼はリュックからソーセージを2本取り出し、ひとつをジムに与えた。プラスティックのボトルを取り出し中の水を飲みだした。そのボトルを差し出し、彼にも飲むようにと仕草をした。
 「自分は、まだ歩き始めたばかりで音を上げているのに、彼は、6か月も歩き通して、しかも終点に近づいているのだ!」と思うと、ジム自身頑張る意欲のようなものが生まれてきた。

 ネズミや蛇、クマなどは御免だが、時々愛すべき動物たちに出会うことがあった。
 一度などカメが黙々と道の真ん中を歩いていた。思わず立ち止まり、甲羅を指で突いてみると、顔を出しこちらを見た。
 「コンニチワ!ドコニイクンダイ?」
 「オジサンハ、ドコニイクノ?」
 「ジョージアマデイキタイケド、イケルカドウカワカラナイヨ」
 暫し立ち止まり、彼?との会話を心の中で楽しんだ。甲羅から顔をのぞかせた時の彼の愛くるしい顔は忘れられない。

 クマ( black bears )にも何度か出会ったが、ワイオミングやサウスダコタで見た、あのような大きいものではなく、「叱!叱!」と追い払えば、クマのほうから逃げていくから、そんなに恐れることはないようだ。


" I'm Jim, nice to meet you! " ( 僕はジムと言います、よろしく! )

2014-01-18 09:27:04 | 旅行

 

(6)

 

 食堂で隣り合わせに座った男は、"  I'm Jim, nice to meet you!  "  ( 僕はジムと言います、よろしく! )と言った。
 グレッグも、 "  I'm Greg, nice to meet you, too!  " ( 僕はグレッグです、僕の方こそよろしく! )と言って、手を差し出した。

 ジムは、以前テレビでアパラチアン・トレイルの番組を見たことがあって、そのことが頭の中にあったようで、どこかで自分を見つめ直したいと思ったとき、このトレイルのことが、真っ先に胸に浮かんだようだ。
 自分のことを、会社ではキャリアだと思っていた。ヨーロッパに出張で行く時など超音速旅客機コンコルドに乗っていた。いろんなプロジェクトを生みだし、会社の業績に貢献していた。
 仕事はやり甲斐があったし、自分には天職に思えた。何より仕事が気に入っていたし、毎日が楽しかったのである。
 会社の経営がうまくいっていないのは知っていた。
 それだからと言って、他の人がクビになっても、自分は最後まで残れると思っていたのである。
 
 クビになってみて、人格のすべてが否定されたような気がした。彼の能力からして、他の会社が声をかけることはあり得ることだった。ヨーロッパの会社でも、彼を招んでくれるはずだ。
 人生で初めてと思える挫折感を味わっていたのである。気が滅入って何もできなかった。当然家の中でも、荒れた気持ちでいた。このままでは、すべてが崩壊に向かう気がして、何もかにもがわからなくなる前の今だったら、自分を取り返せるかもしれないと、とにかく外に出て考えようと家を後にしたのである。

 妻と話しあって、しばらく何処かに行ってみたいと言ったとき、妻の方も、それがいいかもしれないと賛成してくれた。                                   目指す方向は、アパラチアン・トレイルだったのである。
 バックパックに、必要だと思えるものをコンパクトに詰め込んだ。テント、シート、寝袋、衣類、雨具、食品、救急医療品などを荷造りして家を出た。

  "  I knew the hardest, steepest part of the trail is up north, in Maine, so I wanted to get the hardest part out of the way first.  " ( トレイルの最も厳しい、そして険しいところは北のメインだということを知って、最も厳しいところから始めようと思ったのです ) と言った。
 一応のルートは妻にも知らせていて、一ヵ月後にはどこそこの街に立ち寄るとかの至ってあいまいな旅程 ( itinerary )を家に残してきた。
 家を出るときには、世間から区切りをしたい気持から携帯電話やカメラを持って出なかった。唯一妻と連絡をとる方法は、家から送られて来るかもしれない郵便局止めの手紙だけだったのである。何月何日ごろに、その街に着くだろうという極めて当てにならないような旅程だったのである。
 手紙が来なければ、それはそれで仕方がないと彼は思っていた。

 メインで山に入ってから、約一か月、ようやく最初に休養を取ることになっていた町にたどり着いた。それがこの町だったのである。
 妻から分厚い手紙が局留めで着いていた。彼の体を気遣う内容で、家のことは心配ないこと、何か困ったことがあったら知らせてほしいことなどが書かれていた。それにお守りが入っていた。それをバッグの中から取り出しグレッグに見せたとき、初めて笑った。

   "  I wanna stay overnight here.  " ( この町で今夜は泊るつもりです )と言った。
 食事を終えたらホテルかホステルか民宿を探してみますと言っていた。この町は、ハイカーたちが、一時立ち寄ることで有名な町のようで、ガイドブックにも載っているとのことである。
 何より風呂に入りたい、伸びきったひげを剃り落とし、下着を変え、カサカサ音を立て潜りこんでくるネズミたち、それを狙ってやってくるヘビの恐怖に脅えないで、ぐっすり眠りたいと言った。
 町ですることはたくさんあった。
 


" Thru-Hiking " ( スルーハイキング )

2014-01-11 00:04:20 | 旅行

 

 (5)

 

  バイテル教授の家に遊びに行ったとき、奥さんに、
  "  I'm just walking around in the trees.  " ( 森を歩いてきます )
  "  Are you walking alone?  " ( ひとりで? )
  "  Yes!  " ( はい )
  "  No, you don't !  "  "  Quite a few coming into the woods and never coming out !  " ( ダメよ!森に入ったきり帰ってこない人が多いのよ! )

 訊いてみると、アパラチアンの樹海に入ったきり帰らない人がいるようで、素人がひとりで入って行くのは危険だと言うことだった。
 私も一緒に行ってみたいから、希望者を募って後日みんなで樹海の中をピクニックしましょうよ、ということになった。 いったん樹海に入ると、方向感覚がなくなり、けもの道に迷い込んだりして、いよいよ帰ってこれなくなるようだ。
 バイテル夫人と話していて、その時初めて「アパラチアン・トレイル」のことを知った。

 ニューヨークからロスアンジェルスまで飛行機に乗って窓から下をみていると、アメリカ大陸を3つの山脈が南北に縦断しているのが分かる。
 最初は、アパラチアン山脈、次がロッキー山脈、それから西海岸に沿ってシェラネバタ山脈である。
 ロッキーは、3,000メートル以上の山が連なっていて、ごつごつ切り立った、いかにも男性的で尾根には白い雪を頂いている。
 シェラネバタも、マッキンレーの4,400メートルに達する高い山がある。
 これらに比べると、アパラチアンは、女性的で穏やかな山脈である。ミッチェル山の2,037メートルが一番高い山で、山脈というようには見えない。

 「アパラチアン・トレイル」( Appalachian Trail )は、大自然歩道である。
 14州に跨り、北はメイン州のバクスターから、南はジョージア州のスプリンガーまで全長3,500キロにも及ぶ。マイルにすると2,000マイルになるので、踏破した人のことを、「2000-miler」と呼ぶようだ。
 一シーズンでこの自然歩道を踏破することを「スルーハイキング」(thru-hiking)と言っている。スルーハイキングに挑む人たちは、毎年2,000人ぐらいいるようだが、そのうち1割ぐらい、200人が成功している。
 どちらかと言うと、「山に登る」と言うより「山を歩く」という感じで、登山の専門技術はなくてもいいが、ある意味過酷ではある。
 山の尾根を歩くかと思えば、岩の上を歩く、谷を歩くかといえば、森林の中を歩くといった難コースが延々と続く。
 やって来る人たちの目的は、さまざまである。
 カメラを持って歩きながら草花、動物、景色などをもっぱら撮っている人、スポーツ感覚で歩くことを楽しむ人もいる。過酷なノルマを自らに課し、鍛錬に励む人もいる。
 ここにやってくる人たちはそのような人たちばかりではない。
 人生に挫折を味わった人、困難にぶち当たった人、心に迷いを持った人、対人関係がうまくいかない人、何らかの理由で心を閉ざし思い悩んでいるような人などが、山歩きをしながら自分を取り戻そうとしている。
 犯罪を犯して刑務所を出てきたばかりで、新しい自らの人生に向き合う心構えを養う努力をしている人、交通事故で家族を亡くした人、失職した人などが、アパラチアンを歩きながら立ち直ろうとしている。

 勿論スルーハイキングを志す人たちはごく一部で、最初から最後まで歩く必要はない。
 途中から登ってきてまた途中で降りる人が大部分である。週末だけ、自宅に近い所からごく短い距離を歩く人たちも多いのである。


" Stop to think ? "  (ちょっと立ち止まって考える?)

2014-01-03 10:00:07 | 旅行

 

(4)

 (こちらを見て手を振っていた女の子)

 

 グレッグは、ニューヨークの病院で医師として数年間あくせく働いて、その間何か人に認められるような成果があっただろうか、相応の進歩があったのだろうかと自分のことを思い返してみて、年齢だけを積み重ねて来たように思えてネガティブな気持ちになっていた。
 今一度自分を反省して、将来のことを考えたくなったのである。仕事に邁進するあまりまとまった休暇などとったことがなかったのに、思い切って2週間の休暇を申請した。
 もちろん今の仕事を気に入っていたし、やめるつまりなどなかったのである。
 2週間をどのように過ごすかというあてもなかった。
 とりあえず愛車のポルシェに乗ってニューヨークを抜け出した。

 ハイウエーを外して田舎道を走った。途中道を間違えたのか、山道に迷い込んだ。ひたすら林の中を進む感じで、行き交う車の数も減っていた。
 車窓から見える景色がきれいだったので、このまま行き続けることに決めた。
 途中人家も途絶えがちになって来た。どこかで小休止をしたいと思いながら走っていると、まとまった家々が連なった小さな町に入って来たので、レストランかコーヒーショップでもあればと探していると、いかにもクラシックな構えのレストランらしい「 Diners 」(ダイナーズ:食堂)の看板が目に入った。とりあえず車を止めて中に入っていった。
 地元の田舎風なひとたちのグループが談笑しながらビールを飲んでいた。
 グレッグの姿を上から下へと見ていたウエイトレスが、グループとは離れた窓際のテーブルに案内した。おそらくこの辺りでは見慣れない都会の人だと感じたのだろう。
 メニューの中から適当な食べ物とコーヒーを選んで注文した。最初に持って来たコーヒーを取り敢えず飲んでいると、背に大きなバックパックのような物を背負った、風貌から登山家を思わせる男が入ってグレッグの隣のテーブルに座った。
 注文したものがすぐに出てくる雰囲気でないので、時間を持て余していると隣の男が話しかけてきた。

 "  I can have a meal after a long interval.  "  (しばらくぶりでまともな食事ができる)と言った。
  "  Are you a mountaineer ?  " (登山家ですか?)
  "  Actually no!  "  (いえ、違います)

 この人、着ている物は、皺が寄っていて、洗濯してない感じで、顔は日焼けしていて、街を歩いていたらホームレスと間違えられそうだが、話していると、知的で、ところどころに専門用語が出てきたりで、いったい何者だろうと興味を起こさせた。
 会話の中で、彼の人となり、身分が何となく明かされていくようで、つい耳を傾けてしまった。
 もともとはボストンの会社でコンピュータのエンジニアをしていたようだが、数か月前に会社の人員整理で首になったということだ。
 自分としては、この分野で絶対の自信を持っていて、会社は、そのことを認識していると彼は信じていたようだ。彼の能力からして、別の会社に移るのも可能なはずなのだが、会社をクビになったことより、彼の能力が否定されたことで、すっかり自信を失くしてしまっった。
 その後ちょっとした鬱の状況が続き、カウンセラーに通ったりもしたが、結果はよくなかった。妻ともうまくいかなくなり、このままでは、家庭崩壊にもなりかねないと思い、思い切って自分を立て直すためにも、しばらく家を出ることにした。

 「アパラチアン・トレイル」を踏破しながら、この先どうしたらいいのかを見つめているということだった。
 彼のいかにも真摯な態度に、心を動かされて、共感するものを感じてしまった。
 グレッグは、失職したわけでない、今の仕事が気に入っているし、職場も十分彼の能力を評価してくれている。何の問題もないが、心の中には、なんとなく彼の態度に心を揺さぶられる自分を認めざるを得なかったのである。