レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

ミニ紳士淑女のデビュー フェルミング・パーティー

2014-04-21 05:00:00 | 日記
今年の春は、というよりは先々週から今週にかけてなのですが、日本語教室の生徒の中に三人のフェルミンガ-バルン(堅信礼を受ける子供)がいました。全部女の子なのですが、うち二人は教会での伝統的なフェルミング。ひとりは宗教的でないヒューマニスト主催のフェルミングでした。

ヒューマニスト主催のフェルミングというのはちょっと言葉に語弊があります。まずここでいう「ヒューマニスト」というのは普段使われる意味ではなく「宗教を否定し、人間倫理を掲げる団体」のことを意味します。またフェルミングというのは「堅信礼」で「確認する」という意味が込められており、これは幼児期の洗礼の確認をするということです。

ですから宗教によらない(洗礼式を認めない)考え方において「フェルミング」という言葉を使うのは厳密にいうとおかしなものがあります。なにかそういう式を挙げたい、ということが核なのでしょうが。

まあいいや、それが本題ではありません。

教会での(ヒューマニスト主催の場合は大学のシネマ館)式の後には、ホテルやその他の施設のホールを借りてのお祝いのパーティがあるのが通常です。

私はこちらに渡ってから初めてこのフェルミンガ-・ヴェイスラ(パーティー)というものに呼んでいただきました。二十一年前になりますが、やってきた直後で、私はこちらの教会での牧師としての認可は受けていませんでした。それでもフェルミングで教区の牧師さんのお手伝いをさせてもらいました。ケフラビクという国際空港のある町の教会でした。

それで牧師さんをお祝い会に招待するついでにおまけで呼ばれたわけです。男の子のフェルミングのお祝いでした。

フェルミングのパーティーには暗黙の決まりがあります。お酒を出さない。主役が未成年ですのでこれは分かります。また集まるのは大体親戚縁者主体です。フェルミングを受ける子供の友達たちは大体同じ時期に自分んフェルミングがあるので、自分のことが手一杯でなかなか友人のお祝いには参加できません。

私のフェルミンガ-・ヴェイスラ初見参の時の感想は... こんなにつまらないパーティーはない、というものでした。(^-^;

おそらく親戚一同が集まっていたのだと思うのですが、とにかく会話が弾まない。私はアイスランド語が分からないし、知り合いもいないのでひとりで 黙々とケーキとコーヒーに向き合っていたのですが、誰も声も掛けてくれない。何と気のきかない退屈な連中だ、と思いました。

その後同様のシチュエーションで何回かフェルミングのお祝いに招かれましたが、大同小異でつまらなかったです。かくして始めの一二年で、私の中には「フェルミンガ-・パーティー = つまらない集まり」という定式が成り立ってしまいました。

親戚縁者が主体のフェルミングのお祝いですので、親戚縁者のいない私はその後ものれほど縁がなく過ごしました。ラッキー!

ところが邦人コミュニティが以前より大きくなり、日本語教室なので邦人の方々のお子さんたちと定期的に顔を合わせることが日常化してくると、この子たちのフェルミングのお祝いに呼ばれる機会が出てくるようになりました。

で、先々週、先週とその機会があったのですが、やはり昔の記憶と比べてみると様変わりした感があります。とても楽しいお祝いの会だったのです。

何が変ったのかなあ、と考えたのですが、まずいの一番に思いつくのは、以前のフェルミングの祝会では私はその子供たちをほとんど知らなかったのですが、今年の場合は普段から良く知っている子たちだったことです。これは当たり前ですが、根本的な違いですね。

加えて日本人の子供がフェルミングの場合、親戚縁者の集まりという図式が壊れて、邦人仲間が出席するということが起ります。となると、見ず知らずの一団の中に入って行くのとは相当な違いができますね。

フェルミングのパーティーではお店からの仕出しのメニューを取るのが一般化していますが、邦人の人たちが関わるとみんなで手伝って作った巻寿司、いなり寿司、ケーキ、パンなどが並びます。これは食べるだけではなくて作る過程もまた楽しみのようです。文化祭の前みたいな。

一般にフェルミングのお祝い会ではドギツイ趣向とかはありません。あっても多少のスピーチと音楽の演奏を何曲か程度が相場でしょう。そしていずれの場合もゲストが皆着席してから、短い歓迎と感謝の言葉、そして食事のビュフェへ招く「ギョルソベル」(どうぞ、召し上がってください)を述べるのはフェルミンガ-・バルンです。

奇麗に着飾ったミニ紳士淑女の大人世界へのデビューというわけです。ホントにそうなんですよ。この間まで小学生の子供とだけ思っていた子たちが、びっくりするくらい大人っぽく着飾ってお化粧して、立ち振る舞いもそれらしく。

大人とは言えないでしょうが、子供から大人への脱皮期であることは伝わってきます。宗教的な観点からでなくとも、この時期のこの儀礼にはそれなりの意味が付随しているのだと感じました。

これからもまっすぐに育てよー! 若者たち。


応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is



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