レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

17. juni の由来とポテトサラダ

2022-06-18 21:41:39 | 日記
こんにちは/こんばんは。

「夏日」が続いていたレイキャビクですが、ここ一週間は気温が下がり目で、涼しい日々となってしまいました。毎日のように会うウクライナ難民の男性は「もう夏は終わり?」と寂しそうな質問。いや、まだ大丈夫だ(と思う)から。(^-^;

ニュースによると、フランスやイタリアでは「熱波」中で、今これを書いている土曜日には気温が40℃を超える予想なのだそうです。パリでは外での集会や、エアコンのない室内での集会も禁止されたとか。

ヨーロッパには毎年のように熱波がやってきますが、六月のような早い時期での到来は珍しいとのことです。やっぱり、アイスランドでの夏日も、周囲と繋がっているんですねえ...




アイスランド国旗
Myndin er eftir Olivier_Toussaint@Dreamstime.com


さて今回は、短いトピックをいくつかご紹介していきます。

まず日本のニュースから。

前回のブログは「『こんな奴らはそれでいい』ってか?」という題で、アイスランドの政治家・司法行政当局の中にある難民蔑視の差別思想に文句を言わせていただきました。

その延長になります。スリランカ人女性のウィシュマさんが、名古屋の入管施設で「体調不良」で亡くなる事故/事件がありました。昨年の三月のことでした。ウィシュマさんは食事を通常に摂れない状態が続いていたにもかかわらず、きちんとした診察や医療措置が怠られていた事実が発覚し問題化しました。

ウィシュマさんの件についてはこちらも:「目を覗き込む」ということ 


当時の入管局長ら13人が訴追の対象になっていましたが、名古屋地検は不起訴処分を決定したとのニュースが昨日ありました。「死因を特定できず、施設内での扱いと死亡の因果関係が確かでない」とかいう理由です。

呆れたものです。これだけの弱い者いじめを集団でやっておきながら、裁判にすらならないとは。こうなると、名古屋入管だけの問題ではなく、日本の公権全般が内に抱え持っている蔑視思想に関わるものだ、と考えざるを得ないですね、私としては。

次はもうちょっとホッコリする話題。




アイスランドに関係する短い記事
写真提供 Ms.HTさん


私の故郷である八王子にお住まいの、古くからの知り合いの女性の方がある新聞記事を今朝送ってくれました。

地方欄の記事だと思うのですが「アイスランドの伝統料理 給食に」という見出しです。多摩市内の私立校を含む17の小中学校で16、17日の両日、アイスランドの伝統料理が提供されたのだそうです。

「友好協力関係を結ぶアイスランド」と記事中にあるのですが、結んでいるのが多摩市なのか小中学校であるのかはちょっと不明。前後関係から察して、おそらく多摩市でしょう。

「友好関係」とかいうと、議員さんの訪問とかが多いのですが、こういう学生さんや子供たちを巻き込んでのイベントは良いですね。みんな、少なくとも「アイスランドという国があるんだ」「こういうものを食べて生活しているんだ」くらいのことは考えてくれるでしょう。

大学生レベルでは、アイスランドからも、日本からも15人くらいの交換留学生が毎年行き来していたのですが、コロナでストップしてしまっていました。ようやくボツボツと復活し始めている、とこちらの大学の日本語の先生から伺っています。




アイスランドのキョートスーパ(ミートスープ)
Myndin er ur Veislulist.is



こちらはプロックフィスクル(「裂かれた魚」の意)
Myndin er ur Eldhussogur.com


若い世代の人たちの交流というのは、特定の利益に縛られていませんし、どういう方向にも発展する可能性があります。

アイスランドのキョートスーパを食べた学生さんの中に「なかなか旨い。どういう国なんだろうか?」と興味を持ってさらに調べてくれる人があるかもしれません。その過程で、このマイナーブログにも行き当たってくれたりして。(*^^*) 

多摩市に一点!

さて、最後のトピックはアイスランドの独立記念日です。先の金曜日、6月17日がこの祝日でした。独立記念日なのですが、こちらではそういう言い方をすることはまずありません。

フツーに17. juni ソイチャンダ・ユニと呼びます。ちょっと改まった記載ではThjodhatidardagurinn Islendinga ショーズハウティーザーダーグリン・イースレンディンガ「アイスランド人の国民の祭日」とも呼ばれます。

Sjalfstaedisdagurinn シャウルフスタイディスダーグリン「独立記念日」という言葉は、まあアメリカの7月4日とかに使うことはあるとしても、自分達については用いないですね。




アイスランド独立の祖 ヨウン・シーグルズスソンの像
Myndin er ur Jonsigurdsson.is


この6月17日に何があったか?というと、別に直接的に独立に関するイベントがあったわけではありません。ただヨウン・シーグルズスソンという人の誕生日なのです。

このヨウンさんは19世紀の政治家で、1811年に生まれ、1879年に亡くなっています。アイスランドは中世の頃よりデンマーク王国の主権の下にありました。つまり属国。

外交・防衛を除く分野での主権を回復したのが1918年の12月1日。そして完全独立が1944年ですから、ヨウンさんは、これらが実現するかなり前に他界していたことになります。では、なぜ彼の誕生日が独立記念日に?

アイスランドでは19世紀中頃から、独立に対する気運が高まりました。ヨウンさんも独立のために積極的に動くグループの中にいました。そして1845年にアイスランドの国会であるアルシンキの建物が再建されると、デンマーク国王は自身の「完全統治権」を放棄。

これを機にヨウンさんは二十四ページに渡る論説を発表し、アイスランド人に独立に取り組む激励をしました。これを受け、デンマーク国王はヨウンさんを対話の相手として認めることになります。




ウクライナ旗も多く散見
Myndin er ur Facebook


こうして、ヨウンさんは事実上のアイスランド独立運動の旗手となったわけです。その名誉を讃えるために、独立記念日は彼の生誕の日である6月17日と定められたのです。

現在のアイスランド国会アルシンキの正面のAusturvollurオイストゥルヴァットゥル「東広場」には彼のブロンズの彫像が建立されています。この広場では無数の抗議集会が毎年開かれるのですが、そのすべてを独立の祖が見守っている、ということになります。それに関連して、面白い逸話があるのですが、それはまたの機会に。

ついでに、アイスランドの独立運動。一滴の血も流されずに完遂されました。このこともアイスランド人が密かに誇っていることのひとつです。

さて、17. juniにアイスランドの国旗がいたるところに掲げられるのは当然ですが、今年の場合は、無数のウクライナ国旗がその合間合間に見られました。それはそれで嬉しいことなのですが、その理由を考えてしまうと悲しいものがあります。もっと平和でハッピーな状況の下で見たい光景です。

ちなみにワタシは例年通り、お祭りには行きませんでした。自宅でのんびりとコロッケとポテトサラダを作って過ごしました。インスタント使わずに、ちゃんとじゃがいもから。やっと料理をする時間が帰ってきたなあ。ありがたいことです。




おまけ ワタシのコロッケとポテサラ



*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
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