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レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

ナゴヤ南街ひとり日誌(18-2)- 出会い、再会、そして出逢い

2018-04-25 05:00:00 | 日記
札幌から羽田、東京駅を経由して名古屋へ入ったのは土曜日でした。

翌日は日曜日、名古屋めぐみ教会の礼拝(ミサ)に出席し説教(お寺のお坊さんの講話のようなもの)を担当しました。日本の教会で、日本語でお話しをするのは、アイスランドへ移る前、最後の礼拝を柴田教会で担当した時以来で、二十六年ぶりのことです。で、感じたことは「やはり、日本語でするのはラクだー!」ということ。これはもう、仕方がないですねー。

その二十六年の間には、やはり色々な変化もあり、柴田教会と恵教会は、隣り同士ということもあり、合同してひとつの教会となりました。そして、恵教会は旧教会堂を取り壊して、新しい会堂を建てました。名称も変わり、現在は「名古屋めぐみ教会」となっています。

当然、私はこの新会堂は初めてだったのですが、よく考えてデザインされており、また暖かい感じのする教会堂です。会堂内の電灯が、写真に撮るとどうしても昔懐かしい「インベーダーゲーム」のUFOに見えてしまうのですが... (*^^*)




名古屋めぐみ教会の会堂内部


この「暖かい」というのはハード、つまり建物としての教会堂についてなのですが、実際はそれに加えて「そこの人々の集いの暖かさ」というものもありました。で、その点で感じたことは、神学校時代の友人であり、現名古屋めぐみ教会の牧師であるH牧師のパーソナリティが、ここの集会全体に反映していること。面白くて、暖かい。そしてメチャ優しい。

もちろんこれは、私の主観的な思い込みであって、恐らくはもっといろいろな人々のケミストリィであの暖かさは創られていることでしょう。それは確かですが、それでも牧師のパーソナリティが大きな影響を与えることも、また確かです。

その暖かさを感じた時、H牧師の働きが、名古屋めぐみ教会でうまくいっており、調和を醸し出していることを確信できました。これは嬉しいことです。

同じく嬉しかったことは、大勢の旧知の皆さんと再会できたことです。旧恵教会、旧柴田教会の多くの方々と二十六年ぶり、あるいは三十年ぶりに会うことができたのですが、嬉しさ倍増なのは、そのほとんどの方が間断なく私に話しかけてくれて、懐かしんでくれたことです。

三十年も放りっぱなしにしてきた「放蕩(ほうとう)息子」に対しての、まさしく聖書的寛容なのでした。「放蕩息子」とは聖書の中にある有名なたとえ話で、ある金持ちの息子が、仕事も手伝わず、前受けした身代を放蕩して使い切ってしまい、仕方なく父の元に帰ってくると、父は恥じ入る息子を、意外にも喜んで迎えた、というものです。

ただ、もちろん、残念なこともありました。まずは研修時には小学生だった子供たちが、私と会うのを楽しみにしてくれていたのですが、実際に顔を合わせてみると、こちらはすっかり成人した連中にビックリ。向こうはすっかり老化したワタシにビックリ。これが現実だから。(^-^;

もうひとつの残念は、三十年の間に他所へ移られたり、またこの世を去られた方もあることです。亡くなった方については、必ずしも「歳の順に」というわけではないことが、人の現実の厳しいところです。




洒落た中庭もあります


昼食後、H牧師は忙しい中を、わざわざ知多の海岸までドライブで案内してくれました。知多はもちろん初めてではないのですが、牧師同士、内密?の話しもいくばくかあり、ドライブがてらそういうお話しをしたわけです。

翌日の午前中、名古屋めぐみ教会のYさんが、またドライブで旧柴田教会の方面を案内してくれました。教会堂はすでに取り除かれ、駐車場になっていましたが、お隣りさんのお宅や、向かいの保育園は相変わらずにそびえ立っているのを見て安心しました。

「教会堂」というものについては、キリスト教の中でも理解の仕方がひとつではないのですが、一般にプロテスタント教会の教えでは、「教会」というのは人の交わり、共同体であって、建物ではありません。

ですから、「教会堂」を聖なるものとして崇めるようなことはしないのですが、それでも人は普通、慣れ親しんだ家屋を愛しますし、特別な感情を持ちます。柴田教会の教会堂の撤去も、そこに慣れ親しんだ方々には決して受け入れ易いことではなかったと思います。

ですから、旧柴田の皆さんが大勢、名古屋めぐみへ来られていることを知ったのには、ホッとさせられるものがありました。




現教会の「楚」をなすふたつの旧教会堂の記念


今回の名古屋訪問では、かつての教会仲間の皆さんに会う以外にも楽しみがありました。それは昨年の十月に、レイキャビクのハットゥルグリムス教会で挙式をされた若いカップルのおふたりに会うことでした。

このおふたりは特に教会のメンバーではないのですが「アイスランドで挙式できますか?」という問い合わせで始まり、メイルを通じていろいろとやりとりをし、仲良し?になりました。

挙式の際には、私の方も忙しかったりしてゆっくりお話しをする時間がなく、残念に思っていたのです。名古屋にお住まいであることは知っていましたので、この機会にぜひ再会を!という運びとなりました。

「日本に住んでいらっしゃるカップルのレイキャビクでの挙式」というものは、私が担当させていただくだけでも、毎年数回はあります。いずれの場合も気持ちよく、良い雰囲気で式を行えるのですが、挙式をされたカップルの方と、その後再会するということはまずありません。

というか、式をされたカップルと再会する、というのは今回が初めてでした。おふたりはわざわざ日曜日に教会の礼拝まで来てくれたのですが、その晩、市内の居酒屋で改めてゆっくりとお話しをする機会を持ちました。

全席で十四席。安いんだけど美味しい肴を出してくれるお店で、常連さんがなぜかカウンター席で持ち込みのたこ焼きを焼いている(注! 「食べている」ではなくて「焼いている」ですよ!)。しかも他のお客さんに配ってくれる、という摩訶不思議なお店でした。

お客の回転率も良くないようだったし、あれで商売なるのかしら?と余計な心配をしてしまいました。

そのおふたり、Tさんご夫妻とは、ようやくアイスランドでの旅の様子とか、どうしてアイスランドでの挙式を思い立たれたのかとか、その後の新婚生活はどんな具合か、とか、いろいろとお話しを聞かせていただきました。

牧師とはいえ、私も普通の人ですから、お付き合いのある程度のところからは、やはり自分と気が合う人かどうか、というような個人的な要素は入ってきます。Tさんご夫妻の場合は「再会しよう」と思ったくらいですから、気が合うことは分かっていましたし、とても楽しいひと時でした。

「来年の今頃は家族が増えていますよ!」というような嬉しいニュースもありましたので、ますますハッピー度は上昇。

思ったのですが、こういう出会いがあるから人生は楽しくなるのでしょう。嫌なこと、悲しいことは定期的に起こりますし、時には「オレの人生、意味があんのかな...?」とうなだれてしまうようなこともありますが、こういう出会い −ちょっと深い意味があるものの意味を込めて「出逢い」- 人との繋がりがあるから、それでも人生は豊かになり得るのでしょう。

私のような仕事では、人と出会う機会はたくさんありますし、一回一回誠意を持って接するようにしていますが、やはり出会いは両方向からの流れが必要です。さらに「出会い」が「出逢い」にアップグレイドするにはプラスアルファの何かが必要なようです。そしてその「何か」はもしかしたら天から与えられるもので、自分では付け加えられないものかも。

Tさんご夫妻とは、そのような出逢いを得させていただきました。人と出会って、もしかしたら再会できて、その中のいくつかが「出逢いだった」と、後から振り返られるのものなのでしょうかね?あんまり図式化しない方がオツかな?

そんなこんなで、今回の名古屋訪問は旧知の方々の「再会」と、まだ浅いお付き合いだった方々との「出逢い」とに恵まれた良い日々となりました。うーん、できることなら、来年もまた来ます。ヨロシク、です、ナゴヤ!


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is


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