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レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「神の恵みの家」(^-^;

2019-05-12 00:00:00 | 日記
ここ二、三日、また気温が下がり、朝などは寒い思さえしています。気温的にはそれでも5度くらいなのですが、山の上には新しい雪が真白に輝いています。

ところがさすがに日の光が強くなっているからか、昼ぐらいになると暖かくなるようです。ちょっと日本の冬、いや東京の冬を思い出しました。

こちらではよくある現象なのですが、気温があまり上がらず、風などがとても冷たく感じる日などに、窓際にいると日の光のおかげでものすごく暑くなることがあります。

これをGluggavedurグルッガヴェーズルと呼びます。グルッガは「窓」ヴェーズルは「天気」なので「窓天気」とでも呼べばいいのでしょうか?「窓際限定の天気だよー」ということだろうと思います。

車にも通用します。朝一で車に乗り込んだ時はヒーターが必要なのですが、15分もすると日の光で暑くなってきます。

さて、前回「アヴェンジャーズ」について書いたのですが、まだ言い足りないことがあり、それを書こうと思っていたのですが、日本でも四月末に「エンドゲーム」が公開されていると知りました。

ネットでも「アヴェンジャーズ特集」のようなものがたくさんあるようなので、「イマサラー」の感じがしますので、それはやめにしました。

そのかわり、非常にローカルなちいちゃな話題を提供したいと思います。




国会隣りのカセドラル ドウム教会
Myndin er ur Menningarstaður_123.is


二月の中頃、空港の街ケフラビクに滞在している難民申請者の人たちが大挙してレイキャビクのダウンタウン、国会前の広場Austurvollurオイストゥルヴォットゥルで、待遇というか「対処」の改善を求めるアピール集会を持ちました。

No BordersやNo more deportationsというアイスランド人主体の支援グループとの共同作戦でした。No Bordersはかなりラジカルな行動を取ることもあり、私は「いつも一緒」ということはありません。

ですが、彼らの主張している点には多々共鳴するところがありますので、ケースバイケースで彼らの主催するデモや集会に参加したりしています。もう十年の付き合いになりますので、なんというか一種の「相互信頼」が出来上がっている、とこちらでは勝手に思っています。

今回、彼らは長期戦を想定して、休息用のテント等も持ち込んできました。結局、テントの使用は許可がいるのにその許可を取っていなかった、とかで、テントは警備の警察官たちに没収されてしまいましたが。

そしてその際に小競り合いが起きてしまったり、その後も警察が「ペッパーガス」を使用して集会を散会させようとしたりして、途中から荒れ模様になってしまったのですが、それはまた別の話しです。きちんとした説明にはそれなりの字数が必要になりますので、またの機会にします。

この集会の前に、私はNo Bordersの知り合いから、国会のすぐ横にある教会Domkirkja -カセドラル- のトイレを使えるように、教会をオープンにしてもらえないだろうか?と相談されていました。

で、カセドラルの主任牧師に「難民問題についての考え方はいろいろあるだろうが、彼らの発言する権利を尊重するという観点から、トイレを使用できるようにしてもらえないか?」と尋ねたところ、すんなりとOKが出ました。

ただ、教会守りのおじいさんは、夕方4時で帰ってしまうので、夜9時くらいまでの延長係りとして、代わりのおじいさん(ワタシ)が詰めることにしました。

難民の中には、私の「祈りの会」の参加者もいますし、イスラム教徒や宗教には関係ない人ももちろんいます。それでも、二月というまだまだ寒い時期に屋外で集まっている彼らは、一様に教会のトイレが使えることを感謝していました。



テントを撤去しようとする警官隊
Myndin er ur Kvennabladid.is


で、この日この夜の集会は、大きくニュースで扱われることとなりました。先に書きましたように、途中から荒れてしまい、警官隊のペッパーガスの使用やそれに伴う小競り合いで逮捕者まで出てしまったからです。

多くの人がビデオを撮っていたりしたのですが、警官隊による過剰暴力だ、という批判が多くなされ、それでニュースネタになったわけです。私も過剰暴力だったと思います。難民の人たちの方では、警官隊に掴みかかられ身を守ろうとしただけですから。

ですが、このようなニュースに接すると「すべて難民が悪い」「こんな連中はさっさと送還してしまえ」というように難民に対する嫌悪感をあからさまにする人々がいるのです。まあ、日本でも同じでしょうが。

政治家の中にもそのような輩があり、オーラブルという国会議員は今回の集会を非難する中で、カセドラルが難民たちのために開かれていたことも批判しました。

ちなみにこのオーラブル氏は、スキャンダルとなった「修道院の夜の惨劇」の一味です。

修道院の夜の惨劇


その批判の中で、彼は「(カセドラルが) almenningsnadhus アルメニングスナウズフース」になってしまった」と発言し、これがニュースで大きく取り上げられ、多くの人を不愉快にさせたのです。

ただ、私はなぜこの発言がそんなに「不快の元」なのか正直理解できませんでした。 Almenningsは「一般の人たちの」という意味ですし、nadhusのnadは「神の恵み」という時の「恵み」、husはハウス「家」なのでnadhusは「(神の)恵みの家」ですよね。

だから「Nadhus? 教会なんだから。当たり前じゃん」と私は思ったわけです。




これは市が許可した大型のテント
Myndin er ur Visir.is


ところが、つい先日私のホーム教会の人たちと話しをしていた際に、ひとつ学びました。Nadhusというのは「トイレ」のことだったのです! あれまあ!

この場合のnadという言葉は「恵み」を意味するnadではなく、「安らぎ」とか「落ち着くこと」を意味するnaediという言葉の連語系だったのでした。

というわけで、オ―ラブル氏の言っていたことは「カセドラルは、一般人のトイレ、つまりは公衆便所になった」ということなのでした。

いまだによくあるワタシのアイスランド語の勘違いの例でした。この話しをFacebookに書いたのですが、アイスランド人の人たちにはかなり受けの良いジョークになったみたいで、ずいぶんLikeをもらいましたよ。

公衆便所ねえ、例えそうだとしても、きちんとトイレで用を足せるということは、これはやはり「神の恵み」ではないでしょうか?

せっぱつまった時にトイレを発見して駆け込んだ時、そう思いませんでしたか?誰でもある経験かと思いますが。(^-^;


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is



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