レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

聖週間と天の采配

2015-04-05 05:00:00 | 日記
今これを書いているのは四月三日の金曜日の昼前です。日本では新年度が始まってワクワクウキウキの時季と思いますが、アイスランドではパウスカ、復活祭前の週末となっています。

今日(四月五日)のこの日曜日が復活祭の日曜日なのですが、そこから遡る一週間はキリスト教では聖週間とか受難週とか呼ばれ、キリストの十字架への道程をしのぶ時とされています。

その中でも、この金曜日はキリストが十字架上で息を引き取った日として、聖週間のピークのように扱われ、以前はほとんどの商活動も休みとなっていました。

今では観光客の人も大勢いますし、かなりのお店やサービスが休むことなく営業していますが、それでも全体として街は静かです。今、自宅の寝室兼仕事部屋にいるのですが、実際外はまったく静かな気配です。(と思っていたら飛行機が一機通過しました。無粋なやつだ)

こういう静けさもいいですね。ホッとします。

実は聖週間は教会ではそれなりにイベントの多い週で、特にフェルミングと呼ばれる堅信式があちこちでおこなわれます。で、牧師さんたちは一般にクリスマス以上に超多忙な時期になります。牧師だけではなく、オルガニストやクワイア、ハウスキーパーの皆さんもです、公平を期して。

フェルミングについてはこちらも(2013)

さらにこちらも(2014)


私は特別職の牧師のため、そういうイベントごとには縁がなく、こういうイベント時期にはひがみっぽくなるのが常です。ところが今回に限ってはそういうことがありませんでした。なぜかというとしなければならないことが十分過ぎるほどあったから(いまでも引き続きありますが)です。

今年に入ってから国際空港があるレイキャネスバイルという町と、レイキャビク市の双方が「これ以上の難民(個人として保護を求めて渡来する人たち)の受け入れはできない」と宣言してしまいました。

どういうことかというと、市町と国がある一定の人数を設定して契約をしていて、難民の人たちの住居や日常生活の必要(電話、交通費、食事等)の面倒を見てきていたのですが、これ以上はできない、と言いだしたわけです。

詳しい経緯は公表されていないのでまた調べる必要があります。とにかくそのような事情で移民局が自ら難民の人たちの日常生活までサポートすることになってしまったのです。
結果は一時期大混乱となって現れました。なにしろ移民局は本来そういうケア集団ではありません。無理もないことなのです。

私は赤十字の難民支援のボランティアもしているのですが、ある集まりで最近来た難民の人たちが「食事を買うお金を支給されていない」「バスのチケットをもらってない」「どこへ相談にいけばいいかも教えてもらってない」状態であることがわかりました。

思いもよらないニードとはあるもので −というか普段私たちが気にもしていないことだからなのですが- 「髭剃りがないのだけれど」「髭剃り??」髭剃りを買うにはポケットマネーが必要なのですが、それが滞っている。ヒゲは滞らないで伸びる。どうしよう?

また、知り合った何人かのアフリカからの人たちは、普通のツーリスト用のホステルをあてがわれていました。訪ねていくときれいでしゃれたホステルだったのですが、「洗濯するのに二千クローネ払う必要があるのだけれど、現金などまったく持ってません」「じゃあ、洗濯してないの?」「一週間以上同じ服」

「人間らしい生活はどこへ行ったんだ?アイスランド」という気になった私は、三人の人 −カップルと男性- を私のいるネス教会へ連れて行きました。教会にはちゃんと洗濯機と乾燥機があります。許可をもらったうえで彼らに洗濯物を洗ってもらいました。女性がいるので彼ら自身にやってもらわざるを得なかったわけです。

二回に分ける必要がある量だったので、終わったのが夜の八時になっていました。まあ、今夜はきれいな服で寝てもらえるのならありがたい限りで。

そんなこんなで難民の人たちがどんな状態かをしっかりモニターする必要が続きました。赤十字のボラの皆さんと協力する部分も多くありますが、私自身は牧師なので、ある線を越えると自分の職務として難民の人たちと接します。

赤十字のボラは各個人がなぜ難民になってしまったのかとか、難民申請がどのような扱いになっているかなどには、原則関知できません。が、牧師はできます。実際に十分に話しを聞いてあげることは、私たちが普通に考えるよりずっと大切なことです。しかし相当に時間とエネルギーを必要ともします。ある程度のカウンセリングの技能も不可欠です。

ある青年は、自分の先行きに絶望的になってしまいうつ的になって入院してしまいました。彼のところにも毎日出かけていかねばなりません。幸いこちらの社会は伝統的に牧師はある意味での信頼を受けていますので、病院でも普通には教えてくれない患者の様子などを話してくれますので、こちらも当人と話しをする際に注意すべきことがよくわかります。

そういうような毎日が続いてきています。私は普段はあまり牧師のシャツ –皆さんが「神父さん」で思い浮かべるようなシャツです− を着用しないタイプの牧師なのですが、最近は毎日着用しています。

スーツにネクタイではどうしても難民の人たちとの間に距離ができてしまいます。牧師シャツは首のカラーを取ってしまえばオープンシャツのようにラフな感じになりますし、カラーを戻せば病院のようにフォーマルな方が都合のいい場合にも適用できます。

というわけで、最近のワタシは毎日牧師服に身を包み、難民の人たちを訪問したり、あちこちへ連れて行ったりという生活です。私の勝手な個人的なイメージにある「伝統的神父さん」そのままのような感じです。そういうタイプじゃないんだけどなあ...おいらは。

でも、こういう日々の過ごし方は少しも嫌ではないですね。むしろ楽しい?です。楽しいというのは難民の方に失礼かな。「やりがいがある」と言った方がいいでしょうね。「フェルミングの担当か難民の人たちとのエスコートか、どちらか選べ」とイエスに問われたらエスコートを選ぶでしょう。

適材適所、天の采配かも?(*^^*)


応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is

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