レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

聖人と凡人と死者の祭り

2018-11-04 03:00:00 | 日記
十一月となりました。レイキャビクでは、今年は冬が順調に近づいているようで、気温も朝方は零度近くまで下がっています。先週の水曜日には、短い時間でしたが雪も降りました。「雪だ」と思う感じの雪。

加えて「冬近し」を告げるのは朝の暗さです。レイキャビクでは、十一月始めでは日の出が大体九時半前後です。八時とかですとまだ暗い闇の中です。当然だんだんと朝起きるのが難しくなってきています。

さて今日の日曜日は、日本の多くの教会で「全聖徒の主日礼拝」と呼ばれる礼拝(マス)が持たれていることと思います。簡単に言うと、亡くなった方々のことを特に追悼して記念する礼拝です。

教会によって、その仕方にはもちろん差がありますが、聖卓(教会堂の一番奥にあたる聖壇と呼ばれる場所にあるテーブル)の上に、亡くなった方の遺影を並べて礼拝をする、というのが一般的ではないかと思います。




諸聖人の日
Myndin er ur Saintthomasmore.org


この「全聖徒の主日礼拝」の元にあるのが「全聖徒の日」と呼ばれる日で、これは11月1日に定められています。念のため「全聖徒」であって、「全生徒」ではありませんからね。学校の生徒集会ではありません。

大きな教会等では、教会暦が定める通り11月1日に「全聖徒礼拝」を持つでしょうが、十一月の最初の日曜日にまで「持ち越し」ているところの方が多いものと想像します。

日本の社会環境では、どうしても平日の暦の行事は近い日曜日に移動して守ることが多くなりますが、これはいたしかたないところです。

「全聖徒の日」ですが、もともとはカトリック教会の祭日であった「諸聖人の日」に依っています。「諸聖人の日」が「全聖徒の日」とは異なる点は、この場合の「諸聖人」というのはカトリック教会によって「聖人」として列福された人たちのことであり、一般の人ではない点です。

「聖人」というのは、生前よほど信仰厚い生涯を送り、人々に良い感化を与え、奇跡なども起こしたことがある人のことで、カトリック教会がきちんと審査して定める人のことです。言うまでもありませんが、私などはまったく縁がございません。

そのような方たちを記念し祝福にあずかろう、というのがもともとの「諸聖人の日でありました。そのかわり?と言っては語弊があるかもしれませんが、翌日の11月2日が「全死者の日」とか「全魂の日」とか呼ばれるものとして定められ、こちらはすべての凡人をも含むものとなったようです。

このような「聖人」や「殉教者」を称え偲ぶ機会は、教会史のわりと古い時期からあったようなのですが、始めは十一月ではなく、五月に持たれていたとのことです。

それが八世紀になり、時の教皇グレゴリスス3世が11月1日に再設定し、現在まで続いています。

その間、十六世紀にマルチン・ルターをはじめとする宗教改革者たちが現れ、プロテスタント教会が生まれました。プロテスタント教会では、それまでのカトリック教会で行われていたり、教えられていたりしたことでも、聖書に基づく原則から外れているとみなしたものを正していきました。

「聖人」に関する様々な教えもその中のひとつで、プロテスタント教会ではカトリック教会の「聖人」というものから一歩距離をとり始めました。

そしてしだいに「聖人」という概念そのものが希薄になり、いつしか「諸聖人の日」も一般の人を含む「全聖徒の日」に変化したわけです。この場合の「全聖徒」とは、キリストに対する信仰を持って世を去ったすべての人々を指します。

アイスランドの国民教会は、現在ではプロテスタントですが、もともとはカトリックでした。ですから、こちらでの教会暦にはいまだに11月1日の「諸聖人の日」とその翌日の「全魂の日」Allra salna messa という言葉が残っています。

ただ、私が理解する範囲では、教会行事としては「全聖徒の日」に集約されて守られています。




007Spectore 冒頭の死者の祭り
Myndin er ur Bondsuites.com


さて、この「全聖徒の日」、英語ではSolemnity of All Saints と言うのだそうですが、他にもAll Hollows とかHollowmas とか呼ばれるのだそうです。この辺はWikipediaの受け売りです。

そしてアイルランド(アイスランドではなく)などでは、「全聖徒の日」あるいは昔は「諸聖人の日」の「前夜祭」が10月31日の夜に催されたのだそうです。後にアメリカ大陸へ移住したアイルランド人はこの習慣を新転地でも持ち続けた。それがさらに後になって、今のようなHolloween ハロウィーンになったようです。

また、別の筋によると、植民地時代に多くのスペイン人が中南米大陸へ渡りました。彼らも宗教的にはカトリックでしたので、この「諸聖人の日」にまつわる行事や習慣をそれらの地に持ち込みました。

で、これらの多くの地に、今でも「死者の日」と呼ばれる行事が同じ時期に持たれているのだそうです。とくにメキシコの「死者の日」は有名ですよね。期間も同じ11月1日、2日、そして10月31日は前夜祭だとか。

この「死者の日」は陽気なお祭りだそうで、町中が「ドクロ装束」をまとって、パレードしたり踊ったりするのだそうです。この間の007の映画「Spectre」の冒頭のシーンがこの「死者の日」のお祭りでした。観ましたか?

ハロウィーンはもう終わってしまいましたから、ちょっと遅いのですが、アイスランドでもここ数年間、アメリカ的なハロウィーンが「多少」持たれ始めているようです。

私が好きなテレビの範囲に限っても「CSI NY」「Criminal minds」「Blue bloods」などで必ずハロウィーンが出てきますからね。観ている人たちが興味を持つのは当然でしょう。

ただ、アイスランドのハロウィーンは、一部の商業関係者が「一生懸命」人々を勧誘し、根付かせようとしているものであるようです。私の私見ですですけどね。大きな西洋カボチャも大量に売ってたし。でもなんでハロウィーンはカボチャなでしょうか?調べ損ねました...

とにかく、家の中ならまだしも、通りを仮装して歩くには少し寒いでしょうね、ここでは。




昨年ヒャットラ教会でのハロウィン礼拝準備


根付かせるのは難しいような気もしますが、アイスランドですからね。なんとか観光客を呼び込む新しい目玉になるようにと、あの手この手で「アイスランド的ハロウィーン」を創り上げるかもしれません。

そうですね。そういうところで傍観していないで、積極的に参加、牽引していくべきなだよな、教会も。もともと教会の行事が関係しているものなんだし、遠慮することはないと思います。

正しい方向へ引っ張れば、死や死者と生きている人たちとの関係を考えるための良い機会にさえなるでしょう。

最後になりますが、渋谷のハロウィーンの様子をニュースで見ました。まあ、大騒ぎだったようで、楽しいものなんでしょうが、あの終わった後のゴミはいただけませんね。「日本はきれいな国で、通りにゴミは落ちていない」という「神話」が外国にはあるのです。

「神話」は神話としても、「ゴミはゴミ箱に」を大切にされますよう。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

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