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レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

最近参加した抗議集会

2025-05-03 21:06:27 | 日記
こんにちは/こんばんは。

GW後半の四連休中ということですね。引き続き、安全のうちにお休みを楽しまれますよう。ただ、ニュースで見る限り、日本ではやはり「行列」がすごいですね。あまり気がつかずに過ごしてきましたが、この「行列」もアイスランドではほぼほぼ見ない現象です。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Robert _Bye @unsplash_com


こちらでは、非常に楽だった冬に引き続き春っぽい日々を迎えています。前回書きましたように、公式には「夏」なのですが、それでも「春っぽい」と感じる時期はあります。

私の教会裏の駐車スペースでは、枯れ木のようだった木立の枝に緑の蕾が萌え始めたり、草地部分にはつくしが顔を出すようになりました。

なぜかはわからないのですが、つくしを見ると嬉しくなります。幼少期へのノスタルジーか?一度だけ、つくしを取りに行って「あえもの」を作ったことがあります。美味しいですけどね、面倒。ヘタとりが。(^-^;

さて、先日の金曜日には久々の抗議集会に参加してきました。久々といってもその前週にも参加しており、この二回が「久々」だったことになります。

難民の人たちに関係している仕事ですので、難民申請への理屈の合わない拒否回答や、無慈悲な強制送還などがある場合、抗議の声を上げることはこれまでも何度もありました。

抗議といってもその仕方は、オピニオン形式でメディアに流すものや、何かの機会にスピーチをしたり、あるいは書面で関係機関に訴える等々、いくつかのやり方があります。

今回は抗議集会形式。もちろんSNSを使ってのアピールや直接の書面等での抗議も関係者によってなされています。先週の集会は法務省のあるビルの玄関前。今回は週一で持たれる閣僚会議の行なわれるビルの玄関前。

金曜日の場合は、結構な数の警察官が玄関をガードしていて、抗議が行われた小一時間の間はビル前の通りも交通が遮断されました。道路が遮断されたのはありがたかったですね。玄関周囲は鉄の柵で囲われてしまい、私たちは車道に立たざるをえなかったので。




教会脇のつくしたち
Pic by Me


とはいっても、抗議に参加したのはわずか三十人ほど。平日の朝8時45分、つまり閣僚の皆さんが会議のために集まってくる時を見計らっての時間設定だったため、普通に勤めに出ている方は参加できなかったのです。

抗議の理由は十七歳になるコロンビアからの少年の受け入れ拒否でした。この少年  -カルロス君としておきますが- 彼は十五歳の時に父親と妹と共にアイスランドへ来て難民申請しました。父親がギャングに脅迫されていたとのこと。

申請が拒否されるまでに二年間もかかりました。その間カルロス君は学校で多くの友達を作れたのですが、中でもひとりの少年と仲良くなり、その少年の自宅にも呼ばれて出入りするようになっていたのです。

ところが最終的な結論が出る前に、カルロス君の父親が長期に渡って暴力を振るっていたことが判明。カルロス君の親友となった少年の両親がその事実を突き止めて、子供を保護する機関に連絡したのです。

同時にこの両親 -お父さんをシンドリさん、お母さんをシグルンさんとしておきます- はカルロス君の養父母となることを願い出て、カルロス君の実の父親も親権を放棄しました。カルロス君はシンドリさんの家庭に引き取られたのです。

ところが、子供に対しての虐待の訴えを受けた地方自治体の未成年保護委員会はあまり積極的に関与しなかったらしく、当然なすべきった調査をしなかったようです。この点は不透明な部分があります。

結果、昨年の十月にカルロス君は家庭内暴力を振るう父親と「共に」コロンビアへ送還されました。この点も批判の対象となっています。警察は何の事前通告もなく、ある日学校へやってきて、トイレを使用中だったカルロス君を引きずり出して連れて行ったといいます。

コロンビア、ボゴタに着くと、父親は妹だけを連れて消失。カルロス君はひとりでホームレスとなりました。幸いアイスランドで貯めた小遣いが多少あって、食物は買うことができたとのこと。

シンドリさん夫婦は、それでも毎日カルロス君とSNSで連絡を取り合いました。そしてどれくらいの期間の後なのかわからないのですが、なんとカルロス君を迎えにボゴダまで出向いたのです。




金曜日の抗議集会
手前は環境大臣のJohan Pallさん この間までNo Borders側にいた人
Myndin er ur Visir.is/Anton_Brink


そしてアイスランドへ戻ると再度難民申請。前回は父親が申請して、カルロス君は「追従する未成年」だったのですが、今回は自分の名前で申請。

ところが移民局はすでに結審済み、との立場で申請の受け取りを拒否、というか審査すべき案件として認識することを拒否したのです。ここから、一件はマスコミに流れ始め、一般人の知るところとなったわけです。私自身も、それまではまったくこの問題は知りませんでした。

アイスランドの一般人は「子供」に対してとても敏感なところがあります。例えばガザの子供達の状況にもものすごく反応していて、イスラエル軍への抗議デモは何十回も繰り返されており、いくつかのデモでは警察との小競り合いも生じています。

で、このカルロス君の状況についても「なぜ、受け入れてやらないんだ?送還されたら未成年がホームレスになるんだぞ。まだ子供だぞ。ここでなら引き取って面倒を見てくれる家庭まであるじゃないか。誰にも迷惑がかからないで、ひとりの少年の生活が救われるんだ」というような世論が形成されています。

珍しく教会も迅速に対応し、先週の抗議集会の前には百二十人の牧師が連名でカルロス君の受け入れを支持。今回はシノッドという全国教会会議の場で、同じくカルロス君の受け入れを政府に求める声明を採択しました。

嬉しいことに?この双方の教会の動きには私は関与していなく、まったく自発的に他の牧師さんらの働きで実現しました。この間までは難民とかいうと、私以外にはほとんど声を上げる牧師さんはいなかったのですが、ポジティブな発展です。

先週、今週の抗議集会はNo Bordersという難民支援を中心として活動している団体の主催でした。No Bordersとは長い付き合いですが、時折り過激になることがあるので、適当な距離を取りながらの関係です。




国民的人気歌手Pall Oskarさんも抗議に参加
Myndin er ur Visir.is/Anton_Brink


先週の集会では私も短いスピーチをしましたが、金曜日の集会には是非とも教会の声明文を、その声明を起草したグループの牧師さんに読み上げて欲しかったので、アルトナさんという女性牧師に頼み込んで来てもらいました。

金曜日の朝落ち合うとかなり緊張していて「トシキ、私これまで抗議集会とか一度も参加したことがないから...」(代わりに読んでくれないか?)みたいな感じだったのですが、「いやいや、何事も初めてから始まるから」

アルトナ牧師はきちんと自身の役割を勤め上げてくれました。

これからどうなるかは、まだ不透明です。政府は「送還の決断に変わりはない」と突っ張っていますが、これは周辺諸国からの難民の扱いへの(ネガティブな)圧力もあるので、柔(やわ)なことは絶対公言しません。

最近では、政府が表向きは「タフ」の姿勢を崩さず、その反面で当該申請者が「事実として」ここにいられるようになった事例がありました。

すんなりとはいかないでしょうが、たとえすっきりしない解決となっても、カルロス君が滞在できるようになることを願います。

「思いやり、優しさ、ヒュマニティでは国は治められない」という意見が強まっていますが、「思いやり、優しさ、ヒューマニティ」がない国ってどんな国でしょうか?

世界の広範な領域において悲惨な現実が露見していることは誰でも承知しています。「思いやり、優しさ、ヒューマニティ」があるから「それにもかかわらず」私たちはなんとかやっていけているのです。

アイスランド、日本を問わず国政の権力に関わる方々にはそのことを無視しないでもらいたいものです。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


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ここが違う ー 先生と小坊主

2025-04-27 21:42:16 | 日記
こんにちは/こんばんは。




清涼感アップ用ピック1
Myndin er eftir Theodor _Vasile@unsplash _com


前回はあえて触れませんでしたが、このブログあるいは他のGooブログをご覧になった方はすぐにイヤでもお気づきになったと思います。そうなんです、Gooブログ、今年の秋でサービス終了となるそうです。

「ブログ引越し」用の手順やサービスもきちんと提供されているようです。「Amebaブログ」か「はてなブログ」というサービスとは、話しがつけてあり受け入れがスムーズだということですが、他のブログサービスでも可能ではあるようです。

サービス終了は11月だそうで、まだしばらく間がありますので、考える時間はあります。う〜ん、ブログ開始当初より足かけ十三年ここにいますので、残念ではありますね。

さて、日本はGWの真只中ということでしょう。最近ちょっとニュースにもあまり付いていっていなかったので、すっかり頭の中から消えていました。良いGWを楽しんでください。

一方、アイスランドは「公式に」夏になりました。アイスランドは公式には夏と冬の二季しかありません。毎年「四月の第四木曜日」が「夏の第一日」として定められており、この日は祝日です。

夏の第一日は結構冷え込んで小雪が舞ったりすることもあるのですが、今年は暖かく夏っぽかったですね。皮肉な「夏だねー」という冷笑はありませんでした。

その「夏の第一日」から始まって、私も四連休を楽しんでいます。四月は5日の一日しか休みを取れていなかったので、多少の骨休めです。新相棒のアーニー牧師が、仕事にも集会に来る人々にも慣れてきてくれたので、安心してお任せできるようになってきました。

この三日間ほど読書三昧。まずはいつぞやもご紹介しました鳴神響一さんの「脳科学捜査官 真田夏希」シリーズの最近の二巻、プラス鳴神さんの新しいシリーズの「湘南機動鑑識隊 朝比奈小雪」の第一巻。

軽いノリの刑事もので始まった今年




自宅のマグ 左は夏用、右が冬用
Pic by Me


夏希さんものはこれまで通り面白かったですし、小雪さんの方は、まだ第一巻なので状況説明と導入がかなりを占めていますが、これからに期待できます。

鳴神さんのものは電子書籍で買ったもので、一冊読むのに三時間はかからないでしょう。私にとってのリラックス本です。

ついで日本から買ってきていたもの、プラス、アマゾンで買って積んであった書籍の中から二冊を読んでいました。

これは「業界もの」で一冊はジョン・ヒューレット牧師の「牧師のレジリエンス」という本。日本で長く働かれた(働かれている)アメリカ出身の方で、マラソンが趣味だそうです。

で、牧師の生涯をマラソンに例えて、牧師就任時、働き盛り期、熟年期、リタイア間近等の、どの時期にどのようなことを気をつけるべきか、というような生涯ケア的なアドバイス本です。いい内容で、窓際に追い詰められた今の私には役立つものが多かったです。まだすべてを咀嚼できていませんが。

もう一冊は佐藤彰(あきら)牧師による「教会形成の喜び」という著作。多分、雑誌に掲載したエッセイと神学校での講演をまとめて、さらに書き下ろしの部分も加えて一冊にしたものかと思います。

こちらも面白く、内容も豊かで前述のヒューレット牧師の本と同じく牧師の「その時に応じた身の処し方」ということに多く触れられています。とても良い指摘が多かったので、どういう牧師先生かと思ってグーグルしてみました。

私よりもひとつ年上なだけの同輩の先生で、福島第一聖書バプティスト教会の牧師さん。この教会は1950年代からある歴史ある教会で、あの福島第一原発の最寄りの教会だそうです。




西町フルアパートからの夕陽の眺望
Pic by Me


Youtubeにも佐藤先生の働きを紹介するものがあったので、見てみました。非常に感じの良いえらぶらない方です。Youtubeでは本ではあまり触れらていない物語りも聞くことができました。

それはあの東日本大震災にかかわるものです。2011年当時には佐藤牧師は五十四歳。その時すでに福島第一聖書バプティスト教会の他に、近隣に三つの集会所というかきちんとした教会を建てていらしたとのこと。これはすごい。順風満帆と言って過言ではないでしょう。

しかしそこで起こったあの大震災。佐藤牧師は家をなくした教会員の方々60数名と共に、あちこちへ避難所を求めてさまよう流浪の民となりました。東京都下の奥多摩にある「福音の森」という教会用のキャンプ施設に迎えられ一年を過ごしたそうです。私も神学校時代にお世話になったことがあります。

この辺の様子は私が書くよりもYoutubeをご覧いただいた方が早いし正確でしょう。とても数行で説明できるような些細な物語ではないので、ぜひ見てみてください。これ、そんなに教会「臭く」ないですから、キリスト教に縁のない方でも大丈夫だと思います。

佐藤 彰さん「すべてを失っても ~希望~ (1)」

[くりナビ] 希望の未来へ羽ばたく教会/佐藤彰牧師|クリスチャン・ナビゲーション




清涼感アップ用ピック2
Myndin er eftir Yanshu_Lee@unsplash_com


ともかく、そのような大試練を経験された後、わずか二年後には福島県のいわき市に、またぞや新しい教会を建てて残っていた三十人の教会員の方々とともに「移住」したのだそうです。

その教会もほったて小屋などではなく、私の目からすればかなり大きな教会です。いやあ、すごいです。教会を建てることがすごいというだけではなく、あのような危機の中で停滞してしまわないで、ご自身や周囲を立て直して、さらにきちんとした前進をするというのがすごいと思います。正直言って感服。

同年代の牧師なのに、どうしてこれだけ差が出るかな?佐藤牧師は文字通り「先生」の尊称に値しますが、こっちはいまだに「小坊主」の域を出ていない。もともと器が違うというのもありましょうが...  トホッ

そういえばヒューレット牧師の本にもあったなあ「好むとも好まざるとも、つまり結末は人生の一部分である」ヘンリー・クラウドさんという方の言葉だそうで。タシカニー。

まあ、そういう小坊主、中途半端もん、落ちこぼれ、B級、イマイチ等々をいちいちきちんと拾い上げてくれのがキリストなので、心配はいらないのですが。

最後に、はじめのGooブログサービス終了に戻りますが、Gooブログをされている方がありましたら、どのようにするつもりか、考えをコメントでシェアしていただけますか?

あまり他のブログサービスのことを知らないので、情報を与えていただけると助かるのですが。よろしくお願いします。m(_ _)m


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聖週間の映像クリエーター

2025-04-19 20:25:23 | 日記
こんにちは/こんばんは。

今日はまず、Gledilega paska! です。グレージィレーガ・パウスカと読みますが、Delightful Easterというような意味の復活祭の挨拶言葉になります。今日、20日が復活祭の日曜日。日本ではまだまだ浸透度が少ないでしょうが、復活祭はキリスト教文化圏ではクリスマスと並ぶメジャーな祭日です。

ちなみにユリウス暦を用いている東方の正教会とは、毎年この復活祭の日にちが異なるものなのですが、今年は例外で私たち西方教会も東方教会も同じ4月20日が復活祭の主日(日曜日のこと)となります。




Gledilega paska!
Pic by Me


復活祭に至る一週間は「聖週間」と呼ばれる特別な週で、キリストの十字架への途を偲ぶ時とされています。キリストが弟子たちと最後の晩餐を取ったとされる木曜日、そして十字架につけられた金曜日の両日は祝日です。

この「聖週間」(「せいしゅうかん」と打つと「性習慣」が第一に現れるのは毎年のご愛嬌 *^^*)ですが、英語ではHoly Weekとまんまなのですが、アイスランド語ではDymbilvikaディンビルヴィーカと呼ばれます。Dymbillと vika(週)の二語の連結語なのです。Vikaは「週」なのですが、dymbillの方は何か?というと、実はそれが何かはっきりとはしていないようです。

Dymbilvikaという言葉は非常に古い言葉で13世紀の書物に初めて確認されています。ただ学者は「さらに古くから使われていた可能性はもちろんある」としています。

一番の定説は、聖週間にはキリストの苦難を偲ぶため、教会の鐘が鳴らされなかった、もしくは響かないように「ミュート」された、というもの。dymbillはそのミュートのための道具もしくは方法とされます。

ある説では、鐘が響かないように布で包んだ状態の鐘がdymbillとされますし、また類似の説は鐘の中にある振り子の「木製」のものがdymbillであるとします。




レイキャビク市内ハウテイグス教会の鐘
Myndin er ur kirkjan.is


また別の説ではdymbillを、鐘の代わりに使われた木製の楽器であると主張し、さらに別の説は教会の中の床に立てれた大きな燭台だとします。この週には教会のキャンドルも消されたことからそのように考えらたようです。

何年か前にこのdymbilvikaについて書いたことがありますし、興味ある方はそちらも参照してみてください。

教会の鐘がミュートになる時...?


このことについてそんなに書くつもりはなかったのですが、今回思い出したので、また取り上げてみました。ザックリ解説ですみません。でもあまり詳しくやられてもねえ。

毎年使う言葉なのにアイスランド人自身が何のことかわかっていない言葉もあるんだ! というのは面白い点です。

とにかく週前半はともかく、「聖」木曜日と「聖」金曜日は確かに街中も普段よりはずっと静かな気がします。いや、それはウソだな。ワタシは街中には行っていないのでわからない。車で周囲を見た限りでは、交通量も少ないし静かな気がします。

なぜ街中に出ていないかというと、引き篭もり老人だから。ではなくて、ここのところ超忙しかったのです。その主な理由はひとつの動画を作っていたからです。聖木曜日と聖金曜日は休日、と書きましたが両日とも私は早朝からせっせとお仕事していました。

そうなんです。動画作りは仕事関連。私と新しく相棒になったアーニー牧師が責任を持っている英語集会のプロモートビデオを作っていたのです。たった5分ほどの短いものですが、そういうビデオは作ったことがなかったのです。




今日(19日)のモルグンブラウジィズ紙の一面
Myndin er ur mbl.is


コロナの全盛時には教会の集会の動画を毎週作っていたので、動画作りそのものは初めてではないのですが、教会の集会とかの画像はそこにいて同じ対象を撮るだけ。それを少し角度を変えたり、ズームしたりして、変化はつけますが単純であることに変わりなし。

そこから派生してキリスト教の「布教」(なんかイヤな言葉)のメッセージ動画も作っていたことがあるのですが、これもカメラの前で喋るだけの超絶シンプルもの。動画編集なんてiMovieで十分でした。

でも今回はたった5分とはいえ、画像を重ねたり、プライバシー保護用に部分的にぼかしをかけたりする必要があったので、iMovieの兄貴格のFinalCutProX(FCPX)を使うことに。

実はですねえ、持っていたのですFCPX。コロナ時に「映像クリエーター」気取りで購入したのですが、その後宝の持ち腐れ。正直言って、六十代後半の翁にはあれはかなりしんどい。

うかつに余計な操作をしてしまうと、作業画面がまったく違うものになったりして。それはあり得るけど、問題はどうしたらもとの画面に戻れるのかわからない。そこで、YouTubeに助けを求める、みたいなことの繰り返しになりました。

FCPXはやはりきちんと講習を受けて使う方がいと思います。ネットでも無料のチューションはたくさんありますが、秩序立てて習った方が結果として効率的かと。

まあ、そういうわけでかなり集中してこの作業に没頭したわけです。正直言って、キリストの苦難の道のりよりもFCPXの扱いが心を占める一週間となってしまいました。




アイスランドでは復活祭といえばチョコのイースターエッグ
Myndin er ur Facebook af Noi Sirius


あ、そうそう。編集だけではなくて、撮影も結構時間取られました。編集しながら「この部分はこういう画材があった方がいい」とかわかってくるんですよ、一丁前に。で、その部分の撮影。

難しくはないんですけど、人物が必要なこともあるので面倒な部分はあります。そう「人物」なんですけど、一番の問題点はそれなんです。私たちの集会は難民の人が多く、いろいろな事情から「顔出し」できない人ばかりなのです。

でもたった5分とはいえ、集会の紹介する動画で人が出てこない、というのは致命的。サクラを集めるのが常套なのでしょうが、そこまでしているゆとりがない。というのが一番の苦労でした。

なんとかそれっぽい画をつなげ終えました。最後はBGM。久しぶりにニコニコモンズが役に立ちました。毎月何百円か払い続けてましたからね。元は取らないと。

アーニー牧師は「Amazing Graceがいいんじゃないですか?」若いのにありていだな。いかにもじゃないか、Amazing Graceなんて。でも結局それにしました。アコースティックの良いアレンジがニコニコにあったので。

ただ動画の後半部は、ニコニコで見つけたオリジナルのピアノ曲にしました。すごくいい曲で気に入りました。「おゆひよこ」さんというクリエーターの方のYellow starという作品。

視聴可能です。「おゆひよこ」さんのサイト


そしてめでたく完成しました。出来栄えは... まあ、教会の動画だな、というのはありますね。昨今のショートビデオのような奇想天外な要素はまったくありません。視聴数を得るとか、そういう目的ではないからね、もともと。

恥ずかしい出来ではないと思います。二、三、直したいと思うところはありますし、プロの映像と比較したらからぜんぜん質が違いますが。

ただ良い点もあります。今回の動画、一銭もかからずできました。外部からサービスを買ったら相当な支出になると思います。コロナ時に結構いろいろな小道具を買ってましたから、今回は出費なし。

その動画をお披露目したいのですが、今回はまだFacebookにしか投稿していないので、Facebookアカウントをお持ちの方限定になります。面白いものではないですけどね。念を押しておきますが、教会の活動紹介ですからね。へへ





というわけで、映像クリエーターのトーマでした。また次回、お目にかかります。


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50–50の日

2025-04-05 20:30:22 | 日記
こんにちは/こんばんは。

四月となりました。日本ほどではないでしょうが、今年の場合はアイスランドでも春の気配が濃厚に漂っています。




清涼感アップ用ピック1
Myndin er eftir Anton_B@unsplash_com


前回、私のいる教会に日参する雁(がん)のトリオについて書きましたが、書いた途端に大きな変化があり、このトリオ消えてしまいました。教会の隣りの草地、というか湿地には三、四十羽の雁が常駐していたのですが、ここも「もぬけの空」と化しました。

ネットで調べた限りでは、あのトリオはアイスランドで雛をかえす種類のものなので、国外へ旅立ったわけではないと思いますが、おそらく春となり産卵にふさわしい近隣の他の場所へ移動したものと思われます。

まあ、これこそ「春の事象」なんでしょうが、かなり残念。心にぽっかり穴が空いた感があります。寂しい。秋くらいに子連れで帰ってきてくれることを願います。元気でやれよ〜!

それでふと思い出したのですが、母の知り合いの女性の方が、一番末のお嬢さんが四月から大学生活のために札幌から福岡へ引っ越してしまい「さすがに寂しい」と漏らしていたとのこと。

この時期、大学生活や社会人生活が始まり、親元を離れて行くという人は大勢ありますよね。「心の空洞」を噛みしめていらっしゃる親御さんも多いことでしょう。いや、別に大切なお子さんたちと雁を同化させているわけではありませんが、少しは通じるものがあるような。




「トリオ」はこの種の雁
Myndin er ur Vindavefur.is


さて、今回は(今回も)個人的な話しであまりよそ様に役に立つトピックではありません。

私は1992年4月2日に成田を発ち同日の夜九時半くらいに、ケフラビクの空港に着きました。その時はヒースロー経由。九時間の時差を戻って行く方向でしたので、着いたのは日本では3日の朝となります。

ですから、つい先日で満三十三年の滞在となりました。その一方で私は今年の十一月で満六十七歳となります、それまで生きていれば。

で、この年のどこかの時点で、私が日本で暮らした年月と、アイスランドに来てからの年月が「均等」になる、ということは以前より気がついていました。一生懸命計算するほどの意義もないですから、漠然と「十一月の誕生日で50–50か」くらいの気持ちでした。

ですが、先日閃いて「あ、ChatGPT とGeminiという優れものがいるではないか。あいつらなら簡単に計算できるだろう」と思い立ち、正確にこの日本-アイスランドが50–50になる日を計算してもらったのです。

両者とも、計算の過程も説明してくれるので面白いのですが、言われてみればそんなに複雑なものではなかったです。

第一ステージ。私が日本で過ごした「日数」を計算。

1958年(私の生年)の誕生日を第一日として含めて、その年に何日間残っているかを計算。54日間。

ついで1959年から1991年の32年間の日数を計算。365x32プラスその間の閏年の数です。ちなみにこの間の閏年は八回なのでトータル12053日間。

次に1992年の4月2日(を含む)までの日数を計算。この年は閏年だったので93日間。

これらを足すと、私の日本生活日数は12200日間だったことが分かります。




清涼感アップ用ピック2
Myndin er eftir Ludovic_Charlet@unsplash_com


第二ステージ。1992年4月2日(を含む)から数えて、いつが12200日目になるかを計算。

12200日間を365,25(閏年を含めての一年間の平均日数)で割ると、およそ33年となり、12200日目が2025年のいずれかの日と確定。まあ、それは分かってたけど。

次に1992年の4月2日から2025年4月2日までの日数を計算。第一ステージと同じようなことを繰り返して、これは12054日間となります。そうすると足りないのはあと146日間。

4月の残りは28日間、5月31日間、のように数えていくと1992年4月2日から数えた12200日目は今年の8月26日であることが分かりました。

今、ご紹介したのはGeminiの計算式で、ChatGPTは多少異なる道でしたが結果はもちろん同じ8月26日。

ちょっと脱線しますが、アップル系の私はこれまでChatGPTを贔屓(ひいき)にしてきましたが、最近になってGeminiの方がいいかな?と思い始めています。まあ、その理由はまたそのうち。

そういうわけで、来たる8月26日で私の日本での生活期間と、アイスランドでの生活期間が均等になります。ということは8月27日からは一日一日とアイスランドでの生活期間の方が長くなっていくわけです。

ざっくりとした意味ではすでにほぼほぼ均等になっているわけですが、不思議なもので、心情的には日本での生活期間のほうが圧倒的に長く感じられます。これもあの「ジャネの法則」の故なのかなあ?

ジャネの法則




頼りになるGeminiの計算式の解説
Pic by Me


最近よくテレビやCMで「二拠点生活」とかいうのを目や耳にしますが、単細胞な私にはそういうのは難しいでしょうね。まあ「二拠点」にもいろいろあるから、港区と八王子の「二拠点」とかいうのなら面白いかもしれませんが。

アイスランドと日本の「二拠点」。若い人たちの中には、それに近いことをしているか、あるいはそっちに向かっているような方もあるようですが、それはそれで良いことでしょう。

私の場合はまず経済的に無理です。しかもたとえ経済が許したとしても、精神的に「二拠点」に必要とされる「切り替えの早さ」というものがありません。帰省の後こちらに帰国する度に「日本ノスタルジー症候群」を発症するくらいですから。

私には8月26日を「50–50の日」として個人的に祝うくらいがふさわしいものでしょう。オータニさーん!みたいだし。彼の場合は54–59か?

というわけで、最初にお断りした通り今回はまったくの個人的トピックで、なんの社会性も公共性もない内容でした。悪しからず。

強いていうならば、ChatGPTとかGeminiって、使い用によってはこういう個人的な記念日を算出するのにも役立つことを発見しました。これは共有性があるかも。

皆さんも何か「個人だけの」記念日を算出してみたらいかがでしょうか?


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It’s complicated - 雁(がん)の場合

2025-03-29 06:43:20 | 日記
こんにちは/こんばんは。

三月も末。来週はもう四月かと思うとちょっとビックリです。私がアイスランドに移住するため成田から出発したのが、1992年の4月2日でしたので、まもなく満三十三年になります。

それに関連した小ネタがあるのですが、それはまたの機会に。




清涼感もあるつがい鳥のいる風景
Myndin er eftir Einar_Jonson@unsplash_com


今日は鴨についてです。鴨といってもいろいろな種類があると思うのですが、ここでいう鴨はアイスランド語ではGragaesaaetkvislと呼ばれるグループのもので、英語ではGleylag goose familyというのだそうです。Anserとも呼ばれています。

日本語ではなんじゃい?と思って、Gemini2.5Proに聞いたところ、「ハイイロガンの家系」。ありゃ?ワタシが「鴨」と思っていたのは「雁(がん)」だったみたいです。(恥)

そうなると雁と鴨はどう違うのかを知る必要が出てきます。典型的な「ブログあるある」で、数珠状に知識不足が露呈してしまい準備事項が増えてしまいました。

学術的には雁は「カモ目カモ科」に属するものだそうで、なんだ、やっぱ「鴨」じゃん。ちなみに白鳥もおんなじ「カモ目カモ科」ということです。

雁と鴨の違いはいくつかあるようですが、まずは見た目のサイズが雁の方が一回り鴨より大きく、また雁はオスメスがほぼ同じ容姿ですが、鴨はオスが繁殖期(発情期)になると派手な姿に変身しちゃうことが多いのだそうです。よく見る頭が輝く緑色の鴨はこの変身中の姿。

それから雁の草食性に対して鴨は雑食性。雁は日中活動しますが鴨は夜行性。もうひとつ面白いのは、雁は一生つがいが変わらない真面目な一夫一婦制を貫くのに対して、鴨は発情すると手当たり次第、かどうかは知りませんが、つがいの枠が壊れることもあるそうです。

すいません。以上は単なる予備知識です。精査したわけではないので、間違いがあるかもしれませんが、まあ、ざっくりとは当たっていると思います。




メスの気を引くためのファッションだそうで...
Myndin er ur natureー engineer.com


さて、去年のクリスマスの前くらいから、三羽の雁が私のいる教会の玄関や窓際に出没するようになりました。教会の隣にはかなり広い野原があり、そこには全部で三十羽くらいの雁が常駐しています。

この野原、そんなに入って行ったことなかったのですが、よく見ると湿原地帯で、あちこちに池のような水たまりがあります。そういうのがいいんでしょうね、雁とか鴨さんたちには。

この雁さんたちは、教会周辺だけではなく、かなり広範囲な地域をぐるぐると巡回して生活しているようです。こちらの人はもう慣れているので、行く先々でパンとかをもらっているのでしょう。

その中の三羽が、私のいる教会に日参するようになったのでした。私もそういうのは好きな方なので、来れば必ずパンをあげるようになりました。しばらくすると、慣れたというか、図々しくなったというか、クチバシでガラス戸をコツコツ。「来たぞ。飯くれー!」

最初から不思議だったのは、なんで三羽なんだろう?ということでした。雁とか鴨はわりとそこらじゅうにいるのですが、普通はつがいの二羽で歩いています。私がひとりぼっちで歩いていると、見上げてバカにするんですよ、あいつら。「ひとりとは、かわいそうな奴だ」余計なお世話だ。

この三羽。身体のサイズから判断して、オス一羽とメス二羽と思います。正妻とお妾さんかなあ。お妾さんなんて言葉、今時(いまどき)使っていいのだろうか?いけなかったらごめんなさい。

でもおかしいでしょう?冒頭の説明でもあったように、雁は一生つがいを解かない真面目な生き方をしているのです。




教会の裏玄関をコツコツする一羽
Pic by Me


Facebookでちょっと書いてみたら、「おそらくそれはまだ生まれたばかりの三羽で、まだつがいとかが出来上がっていないのではないか?」という意見がありました。そうかなあ?結構でかいけど...

まあそれは謎でしたが、それこそ余計なお世話で、彼らには彼らの事情があるのでしょう。It’s complicated.

時折、どこかへ遠征していて顔を出さない日もあります。それが二日続くと心配になってきて、鳥インフルにかかったのではないか?どこかで車に轢かれたのではないか?ガキ大将に石をぶつけられたのではないか?とまったくの親バカです。

ところがです。ここ二週間ほど、ある変化が生じています。オスが、二羽いるメスのうちの一羽に意地悪をするようになってきたのです。その子がパンを食べようとすると、身体を低くして首を伸ばし、突っ込むような仕草をして脅かして、パンを食べさせないのです。

たまにならいいのですが、ここ二、三日は「必ず」になってきました。このいじめられてる一羽は、当初より他の二羽から距離を取っている感があり、私は「お妾さん」と思っていました。それに身体も小さい。食が足りてないのかも。

こういうのを見るのは、残念で仕方がありません。「お父さんはお前らが仲良くご飯を食べるようにと思って、パンをあげているんだ。そんなに意地悪するならもうあげないぞ」と言ってやりたいんですけど...

でも「正妻」が「お妾さん」に意地悪するなら、わかりますが、なぜオスがそうするかなあ?もう、要らねえってか?ワタシ的にはお妾さんに言ってあげたい。「さっさと見切りをつけて、新しい相手を探しに行きなさい。こんな家庭内暴力男と一緒にいて、いいことないから」




仲良く食べてもらいたいものです
Pic by Me


まったく、もらったパンであることを忘れて、あたかも「すべてはオレのもの」と言わんばかりのこのオスには多少腹が立ちます。「このパンはお父さんが自分のポケットマネーで買ってきてるんだよ、お前らが食べられるように」

ですが、その時ふと気が付いてしまったのです。「神の目からしたら、我々はこの雁たちとまったく同じではないか。我々も同じようなことばかりしてるよね」と。

陽の光、水、空気、草花、山の幸、海の幸等々。自分で作ったわけでもないものに囲まれて生活しているのに、いつの間にか「すべてはオレのもの」「いやワタシのもの」とかいさかいを繰り返す。

加えて三角関係のもつれの醜い争い。それは雁より人間様の方がより凄まじいかも。雁は殺しまではやらないだろうし。

やれやれ、そういうのを何世紀も見続けていたら、さぞかし神様もお疲れのことでしょう。まことに申し訳ないです。

それにしても、このトリオ。行く末がどうなるのか興味津々です。もちろん雁に説教はできないですから、ただただ自然の法則に従わせるしかありませんが、それでも、あわよくばハッピーエンドになって欲しいと願ってしまうのは、これも親バカでしょうか?


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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コメント (2)
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